あれから15年…
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- 2010/01/17 13:04:39
ここはまだ16日だが、日本では17日 阪神・淡路大震災のあった日だ。
あの日から、15年。
もう、15年という人もいるだろが 私はまだ15年しかたっていないのかという感覚だ。
幸い神戸からは少し離れていたため、被害は少なかったが それでも大変な被害だった。
その頃は、幼稚園に勤めていたため、子供たちの安否を確認しなくてはならず
何とか幼稚園まで、行かなくちゃと頑張ったが 電車は当然動いていない。
道も大混雑だったが、車で何時間もかけて ようやくたどり着いた。
幼稚園は、新しく建てたところだったので 被害もなく 子供たちも怪我もなく無事だった。
自分たちの周りが安全と分かると、今度は神戸に住んでいる親戚や、友人の安否が心配になった。
だが、電話もつながらなければ 電車も通っていない。
車も、緊急車両以外は神戸市内へ入れない。
私にも何かできることはないかと、ボランティアの炊き出し要員を志願した。。
電車が通っている、西宮北口まで行き、そこから歩いて神戸の中心部へ向かった。
その頃は、もう地震から2、3週間ほど経過していたが 駅を降りて唖然とした。
何もない。
本当に何もなくなってしまったのだ。
家という家は、ぺっちゃんこで屋根が地面についた状態で ブルーシートがかけられている。
戦後の日本は、写真でしか知らないが きっとこんな感じだろうというような有様だった。
2時間ほど歩き、炊き出し会場にたどり着くと、そこは食料がたくさんあった。
パンやら、おにぎりが届いていて お腹をすかせている人はいなかった。
地震直後と、その後数日経過した時点では、欲しいものが違ってくる。
その頃は、着の身着のままだったので、洋服の替えが欲しいと言っている人がたくさんいた。
水も、1箇所にはたくさん届くが、全く届かない地域もある。
混乱していたと思うが、もっと現場の声を聞き入れてあげて欲しかった。
どこまで歩いても、同じ景色で 焼け野原、瓦礫の山…
今でも、鮮明に思い出せるため、まさか15年もたったとは思えない。
だが、人間の生命力はすばらしい。
当時は、あの状態から、今の立派な神戸が想像できなかった。
どんなとこからでも、立ち直れるんだということを学んだ。
その気になれば、やり直しはきく。
誰かの幸せのために生きることが、私の幸せ。
そのための努力なら、惜しまないで 頑張ろうと思う。



























yukkieさんは、神戸の近くが実家なんですね。本当にこの震災は現地へいった方でなければ分からないというのが
正直な所ですが、でもいつ自分にもと言う気持ちがこの間の地震で感じました。
この頃至る所で地震があるのですが、私の住んでいる所では、震度3を記録して、PC本体がかなり揺れました。
これが倒れてきたり、母親が高齢なので何かと避難をするのに・・・と考えただけでも阪神・淡路大震災が対岸の火事の
ようなことですまされないと思うようになってきました。
あの頃、小学校に入学しても大変不自由な毎日の生活を送っている方々のためにと、TOKIO、キンキキッズ、
V6のグループが結成してJ-FREINDSというグループを結成してコンサート活動、募金活動で、資金を調達したりして
助けたらしいです。
その中のメンバーのTOKIOのリーダー城島 茂さんは、家が全壊してしまい、ご家族の方は無事だったものの、私達には
分からないつらい思いをされたのではないかと思います。そんな中を他のメンバーの方々と活動を行っていたことに何とも
いえない気持で、本人は当たり前のようなことでも、私には一言偉いとしか思えませんでした。
この頃のことを結成したグループのメンバーの方々は一人ずつ、600字前後で手記を書いているのですが、本当に
皆さん体験されたことを、すごく上手に書いていました。その手記を今でも手元に持っています。
Yukkieさんのように、現場を見られた方であればなおのことだと思います。
火事・地震といったときに、私は何を持っていけばいいのか、今から準備をしていて、それようのリュックまでも
購入しました。
Yukkieさんのように生で体験された方のお話を聞くということが本当に大切だと思っています。
こちらの方々のコメントもすごくしっかりされていて、ただただ感心です。このような私ですが今後ともよろしく
お願いいたします。コメントにお邪魔してすみませんでした。うまくかけなくてごめんなさい。
「最悪だ」と思っても、生きていれば、立ち上がれる。
そういう状況から立て直した人たちからすれば、今の「仕事が無い」とか言うてる人たちの不甲斐無さに、憤りを感じることでしょう。
がんばれ皆 がんばれ俺
お一人お一人に、コメントをしようと思いましたが
書いているうちに、当時のことが思い出されて 辛くなってしまいました。
そんな気持ちでコメントを書くと とんでもないことを書きそうな気がして
手を止めました。
いつも明日があると思わずに、一瞬で全てを失うこともあるんだということも
頭の片隅において、毎日を大切に 丁寧に生きていきたいと思っています。
被害に遭われた方々からすると
今年もこの日が来たって感じなんでしょうか。
あの地震により学んだことが、
いつまでも忘れられなければ良いと願っています。
15年も経った って信じられないですね
あっという間でしたね…
あのつらい記憶が 風化されません様に
数多の 尊い犠牲が、教訓になってずっと生かされます様に
人の力って すごくて、素晴らしいと思います。
息子さんの風邪、もう大丈夫ですか^^がんばって冬を過ごしましょう❤
そういう人たちがいたと思うと悲しいです;;
なんか、かっこぃぃです><★
いつもご支援ありがとうございます^^
ただいま、サークルにてビッグイベント開催中です。
開設記念を兼ねていますので、今回のみ皆様のところにご報告に伺っていますゝ
宜しければご参加下さい^^
誠意や、努力、労わり、大事にしたいものですね。
とてもお心の伝わってくるブログでした。
さすがです^^。
ご自身も休息は取れます様に^^お大事にネ^^
二度とあってはならんと思うでやんすが,日本中どこ
で起こっても不思議ではないんでやんすよね^^;
不謹慎でやんすが,そんな経験をしてるだけでも 人生
得してると思うでやんす^^
わりと早い時期から、現地に入ったうちの親はあの臭いと光景は決して忘れないといってます。
私は3月に連れて行ってもらってるのですが、小さかったからか全く記憶にないのです><。
それでも、この日が近づくと、関西ではたくさんの特集番組が組まれるので
できるだけ見るようにしています。
阪神淡路大震災には驚きました。その後にも新潟や岩手等の大地震がはっせいして
おり、祖母や父から何度か聞いた関東大震災がこの東京にいつ起きても不思議では
ないと云われており、決して忘れてはならない大惨事だと思っています。
たしか1ヶ月後だったと思いますが、出張で神戸に行った時、電車の窓から崩れた
デパート等を見入ってしまいましたが、現地の方々と思われる周りの方々に申し訳
なくなって見るのを止めて、手を合わせた事を思い出します。
yukkieさんのボランティア精神、素晴らしいです。
僕は 東京なので、被害にあうことはなかったのですが、
朝から 報道を続ける TVに、見入ってました。
あまりに、無惨な光景を見て、何も言葉がなかったこと よく覚えています。
1ヶ月後 ぐらいに、復興支援演奏会なるものに参加して、
微力ながら、オケを指揮しながら、
みなさんに、気力を取り戻してあげたい と、念じたものです。
今の 神戸の発展と、人々の努力に
ただただ 畏敬の念を持つところです。
東京だったら と思うと、いまでも恐怖を感じます。
決して 忘れてはいけない 事件の1つですよね・・・
by チビちゃん
みたもののまったく繋がらず、気もそぞろで会社に行き、上司も
仕事はしなくていいからとにかく電話をかけ続けろ、と言ってくれて
主人の勤務先や東京本社などにかけ安否の情報を集めていたのでした。
すると11時45分ごろ、彼から公衆電話に2時間並んでかけていると
連絡あり、ほっとすると同時に泣けて泣けて、……。
彼の会社の中で亡くなった方も複数いました。
人の生命力はすばらしい夢を希望を持っています。
ガレキの中から多くの感動が生まれそして多くの悲しみも。
あの日のこと私もけっして忘れません。