紀元前575年、晋(しん)と楚(そ)はみたびあいまみえます。
”えん陵”(えんりょう)の戦いです。(春秋5大戦の一つ))
この戦いは一日では決着が付かず、決戦が翌日に持ち越されました。
晋側では、翌日の戦いに自信がもてませんでした。
そこで、各部隊に翌日の戦闘の準備をさせなが...
とにかく古いものがスキです
特に中国の古代史がスキなので
順次紹介していこうと思っています。
紀元前575年、晋(しん)と楚(そ)はみたびあいまみえます。
”えん陵”(えんりょう)の戦いです。(春秋5大戦の一つ))
この戦いは一日では決着が付かず、決戦が翌日に持ち越されました。
晋側では、翌日の戦いに自信がもてませんでした。
そこで、各部隊に翌日の戦闘の準備をさせなが...
紀元前589年
8年前楚(そ)に敗れた晋(しん)に対し、東方の斉(せい)が北方の覇権を狙い
”魯”(ろ)、”衛(えい)”二国の国境を脅かします。
この二国の要請で晋は援軍を派遣します。
これが、”鞍”(あん)の戦いです。(春秋5...
紀元前597年北方の大国晋(しん)と南方の大国楚(そ)は
”ひつ”(必+おおざと)であい間見えました。(春秋5大戦の一つ)
この戦いは、晋と同盟を結んでいた鄭(てい)が楚に攻められ
晋が救援したことで始まりました。
しかし、晋軍が到着したとき、鄭はすでに降伏していたのです。
...
この時代周王朝には、9つの鼎(かなえ)が伝わっていました。
その鼎は夏王朝で作られ、殷王朝に伝わり
殷周革命のとき周に伝えられたもので
日本で言えば、三種の神器に当たるものです。鼎というのは、3本の脚がついた鍋のようなもので
もともとは、食べ物を煮炊きする道具でした。
しかし、土器しかなかった時代土...
紀元前627年
晋と秦が戦いました。(どちらも”しん”と読むのでややこしい)
”こう”の戦いです。(春秋5大戦の一つ)
秦の”ぼくこう”は中国の真ん中にある鄭(てい)を征服して
中原進出を狙うため兵を出しました。
このとき、晋の...