エジプトが混乱状態となっている頃
いままでエジプトの支配下に入っていた
南方のヌビアが事実上独立することになりました。
当時のヌビアはエジプトの文化を取り入れていました。
エジプト風の記念物を建設し、エジプト風の宗教を
信仰し、エジプトの文字ヒエログリフを使用して
碑文を作っていたのです。
ある意味...
とにかく古いものがスキです
特に中国の古代史がスキなので
順次紹介していこうと思っています。
エジプトが混乱状態となっている頃
いままでエジプトの支配下に入っていた
南方のヌビアが事実上独立することになりました。
当時のヌビアはエジプトの文化を取り入れていました。
エジプト風の記念物を建設し、エジプト風の宗教を
信仰し、エジプトの文字ヒエログリフを使用して
碑文を作っていたのです。
ある意味...
下エジプトのタニスから全土を支配していた第22王朝に対し下エジプトのレオントポリスで紀元前818年頃シェションク3世の弟
ペディバステトが自立しました。
これが第23王朝です。さらに紀元前727年頃になるとやはり下エジプトのサイスで
テフナク1世が自立しました。
これが第24王朝です。
このテフナク...
オソルコン2世の死後タケロト2世が即位しました。
(紀元前850年頃)
その頃上エジプトのテーベではタケロト2世の異母弟
ニムロトがアメン大神官となっていました。
彼はハルスィエセの失敗に習い自分の野心をひた隠します。
自分の娘をタケロト2世に嫁がせ、空席となったヘラクレオポリス
の駐屯軍司令官に自...
シェションク1世の死後、その長男オソルコン1世が
即位しました。(紀元前924年頃)
オソルコン1世は晩年、息子シェションク2世と
共同統治することにしたのです。
しかし、シェションク2世はわずか1年で亡くなり
後を追うようにオソルコン1世も数ヶ月後に亡くなりました。
その後はオソルコン1世の息子タ...
テーベ政権との対立が続いていた第21王朝でしたが
王統が絶えるたびにテーベから王位継承者を迎えました。
紀元前959年頃、プスセンネス2世がやはりテーベから迎えられ
第21王朝(首都タニス)とテーベは統一されることになります。第21王朝最後の王プスセンネス2世には後継者がいませんでした。
そこで王は...