‡-第九幕【オリチャ】ⅩⅩⅠ
- 2017/03/08 23:07:01
投稿者:紅蓮狐 糾蝶
__________________
「人間は、神と悪魔との間に浮遊する。
我々は神にはなれぬ。しかし目指すのは、神に等しき力を持つ〝全知全能の魔法使い〟だ。
故に我らは人間として、人間足りうるのだ。
けれど同時に、人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない、自分自身においても、また他人に対しても。
どういうことか分かるかね?
……それでは、ご機嫌よう」
*
壊れかけの鐘が終わりを告げようとしていた。
眩い陽の光と夜の影、忍び寄る死の匂い。
何かが始まって、何かが壊れていく。
錆び付いた歯車と露に濡れた蜘蛛の糸が、ようやく解れだした。
*****
☑オリチャ本編のトピックスになります。
☑オリチャの際には、「w」「^^」「b」「v」や顔文字、「ゎ」などは全面的に禁止となっております。
「!」「?」は大文字でお願いします。
沈黙の台詞や描写には「…(三点リーダ)」を活用してください。
ロルは1行で構いません。
ただし、長くなる分にはいくら長くなっても構いません。
☑また、オリチャのスタイルは、
(キャラ名)「 台詞 」
ロル
というカタチで統一してください。
*****
現時刻:深夜より順次昼へ移行(時間軸バラバラ)
交戦中
・クロウ陣営×【死亡】メルキュール陣営+レイヴン陣営+ノエル陣営+トート陣営
・クク陣営×アリーヤ陣営
交戦終了
-
交流中
・ハトゥール陣営×トート陣営
・ナル陣営×リコルド陣営
・アプリーレ陣営×ユーリ陣営























大嫌いな兄を前に、挑むように細めた目で鋭くリヒトを睨みつける。
相手をしてくれるというのなら、先攻は譲ろう。
ヘカテー「…………、」
肩を竦めて苦笑すると、ヘカテーの長い灰色の髪が揺れた。
七色の瞳は長い睫毛の下で、鈍く黄色に輝いていた。
*
アルル「…………離せ。」
咄嗟に掴みかかりそうになり、ギリギリで踏みとどまったのは、下手をすれば4対1になるかもしれないと瞬時に悟ったからだ。
低く軋むような声で、腰を浮かせたアルルは殺意の漲る濃紺の瞳でサングリアを見据える。
言わんとすることは100歩譲って飲み込んでも、これだけは譲れなかった。
ヒルフェ「ハッ。僕の嫌いな、傲慢ちきで自分がいつも正しいと思ってる奴じゃん。」
外を見ているヒルフェはそう言って笑うと、腰のジャンビーヤに手をかけた。
鼻を鳴らして、悪魔はぼそりと言う。無論誰に聞かせるつもりでもない呟きだったが、どことなくその顔は不機嫌そうだ。
不和をもたらす力を有するアンドラスは、自身の性質とは真逆に不正と卑怯を嫌う。だが戦場で卑怯云々とのたまっても、結局最期に立っている者が真の勝者である。幾ら卑怯な手を使おうが、他者を陥れようが、勝てば良いのだ。
そういう場所だ、彼が今迄喚ばれた場所は。
「さぁ、お手並み拝見といくか?」
誰に向けてでもなく、言った言葉。
挑発するような笑みには乗らず、剣を構える。
大剣に漲った魔力は、行き場を求め蠢いていた。
涼しい顔をしたままのジゼルに心底面倒臭そうな視線を送っては、すぐに逸らして「そんなんじゃねえよ」と小さい声でアガレスに伝えた。
そして、彼の腕を強引に引いてノエルから離すとポンと彼の背中を押してエンドに顎で出口を指した。
そんなんじゃない、自分が発した言葉を頭の中で繰り返した。この人が戦意も魔力もない俺にもこいつらにも興味を抱くはずがない。
手負いと、この人は言ったが、外傷というよりは恐らく、アガレスの契約者以外の微々たる魔力のことであろう。
この人が知りたいのは、アガレスのリードを引いた人物だ。
サングリア「………中庭っすよ」
横たわるノエルの首と膝裏に腕を回して、抱き上げた。
部屋を出て行く寸前に、ジゼルが悪魔に「どうする?」と問いかける声が聞こえた。
バラムが腰に回していた腕はそのまま脇を抜け、グレモリーの肩を抱いた。
禍々しい魔力の滾った大剣にも、自らの主人と同じ魔力にもバラムは微笑んだまま「兄さんそっくりだって」と茶化すように彼女に耳打ちした。
リヒト「卑怯、か」
バラムは瞳を僅かに細めた。
その声は小さく恐らく側にいた彼女ぐらいしか聞こえていないのだろう。
背後では主人の魔法が響いている。
「こちらのレディにはお手を触れないように、な」
挑発するように笑った。
涼しい顔をしたままのジゼルに心底面倒臭そうな視線を送っては、すぐに逸らして「そんなんじゃねえよ」と小さい声でアガレスに伝えた。
そして、彼の腕を強引に引いてノエルから離すとポンと彼の背中を押してエンドに顎で出口を指した。
そんなんじゃない、自分が発した言葉を頭の中で繰り返した。この人が戦意も魔力もない俺にもこいつらにも興味を抱くはずがない。
手負いと、この人は言ったが、外傷というよりは恐らく、アガレスの契約者以外の微々たる魔力のことであろう。
この人が知りたいのは、アガレスの内側に入り込んだ人物だ。
サングリア「………中庭っすよ」
横たわるノエルの首と膝裏に腕を回して、抱き上げた。
部屋を出て行く寸前に、ジゼルが悪魔に「どうする?」と問いかける声が聞こえた。
バラムが腰に回していた腕はそのまま脇を抜け、グレモリーの肩を抱いた。
禍々しい魔力の滾った大剣にも、自らの主人と同じ魔力にもバラムは微笑んだまま「兄さんそっくりだって」と茶化すように彼女に耳打ちした。
リヒト「卑怯、か」
バラムは瞳を僅かに細めた。
その声は小さく恐らく側にいた彼女ぐらいしか聞こえていないのだろう。
背後では主人の魔法が響いている。
「こちらのレディにはお手を触れないように、な」
挑発するように笑った。
ただひとつ違うのは、今はどこを見ているか分からない青い双眸だけ。
ようやく見られた素顔に心底満足したような笑みを浮かべて、
クロウ「霧氷乱舞」
構えた刃が再び交わり火花を散らす。
霧雨をみるみる凍らせ辺りを白く靄が包むと、殺人鬼の黒いシルエットが煌き渦巻くダイヤモンドダストの中へと溶けてゆく。
レイヴン「2対1かよ。卑怯なとこは兄さんそっくりだね。」
バラムにひとつ嘲笑を向けると、赤黒い魔力がレイヴンの足元から蜃気楼のように立ち上る。
ふわりと舞う長い黒髪がその魔力を限りなく自らの嫌う兄のものへと近づけてゆくのだ。
ヘカテー「……1人で相手してあげたら?」
気乗りしていなさそうなグレモリーは、血しぶき舞う中庭をうんざりしたように一瞥して、言った。
*
ジョーカー「殺しまくるのも良いけど、朝言ってた〝作戦〟の話はどーなんだよ。」
ふてぶてしい態度のまま、主人の横で同じように手摺に身を預けるアムドゥキアスは気だるげに零した。
吹き抜ける魔力で浮かびかけたベレー帽を片手で押さえながら、不機嫌な赤い目がザァハトを見た。
無鉄砲で無神経なクセにコロコロと気分が変わる。
気まぐれなアマイモンよりタチが悪いと、ジョーカーは内心思っていた。
ただひとつ違うのは、今はどこを見ているか分からない青い双眸だけ。
ようやく見られた素顔に心底満足したような笑みを浮かべて、
クロウ「霧氷乱舞」
構えた刃が再び交わり火花を散らす。
霧雨をみるみる凍らせ辺りを白く靄が包むと、殺人鬼の黒いシルエットが煌き渦巻くダイヤモンドダストの中へと溶けてゆく。
バラムにひとつ嘲笑を向けると、赤黒い魔力がレイヴンの足元から蜃気楼のように立ち上る。
ふわりと舞う長い黒髪がその魔力を限りなく自らの嫌う兄のものへと近づけてゆくのだ。
ヘカテー「……1人で相手してあげたら?」
気乗りしていなさそうなグレモリーは、血しぶき舞う中庭をうんざりしたように一瞥して、言った。
*
ジョーカー「殺しまくるのも良いけど、朝言ってた〝作戦〟の話はどーなんだよ。」
ふてぶてしい態度のまま、主人の横で同じように手摺に身を預けるアムドゥキアスは気だるげに零した。
吹き抜ける魔力で浮かびかけたベレー帽を片手で押さえながら、不機嫌な赤い目がザァハトを見た。
無鉄砲で無神経なクセにコロコロと気分が変わる。
気まぐれなアマイモンよりタチが悪いと、ジョーカーは内心思っていた。
トート「壁ッ!」
横なぎに振りかざされた刃を、短い詠唱と共に腕に展開した障壁で防ぎきる。
勢いで揺らぐ体制を立て直し、右手に持ち替えていた刀を相手に突き刺そうとしたその時、
突然白く曇る視界の先に、刀の切っ先が見えた。
「がっ__!!」
とっさに逸らした上体に衝撃が走る。
軽快な音を立てて吹き飛んだ仮面が地に落ちて、黒い硝子がパキリと砕ける。
「そうだね、これでよく視えるよ…」
一度地に伏した男がゆらりと体を起こす。
濁った蒼の瞳。軽薄そうな薄い唇。
晒されたのは紛れもなく青年の素顔。
額から流れる血が頬を伝い、ポタポタと地に落ちて紅く染まった。
しかし、降りしきる霧雨はそれですらすぐに洗い流してしまうだろう。
白く曇る視界。緑の芝生。紅い血液。
飽き飽きするほど色づいた世界。
「_____この糞みたいな世界を思い出させてくれてありがとう。」
そうしてまた、瞬きをする暇も与えずに地を蹴りクロウの元へと駆ける。
刀を構え、その刃先に魔力を込めて、
「雹操霹靂」
刀の纏った稲妻が、白く弾けた。
*
多くの魔術師が衝突している中庭にを見下ろすバルコニーに、また一人の魔術師がやってくる。
手すりに手を掛け怪訝な顔で見下ろす男は、ぶつかり合う激しい魔力の所為で頭痛に悩まされていた。
ザァハト「んだよ、シャルの様子を見に来たらあっちでガンガン、こっちでガンガン。しまいには俺の頭もガンガン痛くなってきたじゃねえか。まとめてぶっ殺すぞ。この学園の基礎に埋め込むぞコラ」
ふらふらと手すりの柵にしなだれかかりながら、わずかに霞む視界でこの渦巻く魔力の原因を探る。
馬鹿野郎ども数人を殺せば、この頭痛も収まるのではないか。生徒も減るしwin win なのでは。
「俺って天才なんじゃね。よし殺そう。今すぐ殺そう。まずはあのど真ん中の黒髪と白髪の野郎共から………あ゛?待てよ…アイツは…」
トート「壁ッ!」
横なぎに振りかざされた刃を、短い詠唱と共に腕に展開した障壁で防ぎきる。
勢いで揺らぐ体制を立て直し、右手に持ち替えていた刀を相手に突き刺そうとしたその時、
突然白く曇る視界の先に、刀の切っ先が見えた。
「がっ__!!」
とっさに逸らした上体に衝撃が走る。
軽快な音を立てて吹き飛んだ仮面が地に落ちて、黒い硝子がパキリと砕ける。
「そうだね、これでよく視えるよ…」
一度地に伏した男がゆらりと体を起こす。
濁った蒼の瞳。軽薄そうな薄い唇。
晒されたのは紛れもなく青年の素顔。
額から流れる血が頬を伝い、ポタポタと地に落ちて紅く染まった。
しかし、降りしきる霧雨はそれですらすぐに洗い流してしまうだろう。
白く曇る視界。緑の芝生。紅い血液。
飽き飽きするほど色づいた世界。
「_____この糞みたいな世界を思い出させてくれてありがとう。」
そうしてまた、瞬きをする暇も与えずに地を蹴りクロウの元へと駆ける。
刀を構え、その刃先に魔力を込めて、
「雹操霹靂」
刀の纏った稲妻が、白く弾けた。
主から向けられた視線を、そして明確な敵へ向かって放たれた言葉を聞き、鼻で笑った。
やはり主は主らしい。自分の知っている彼だ。
人間ならばその身に余るほどの巨大な剣を、軽々と片手で構える悪魔。構えた剣が帯びた紫色の雷電は、未だ空気中に残る氷の粒を砕き、煌かせる。露で濡れた刀身には、禍々しい紋章が刻み込まれていった。
フラウロスは歯噛みする。主導権は全て彼の手の中にある。
逆らえば瞬く間にあの剣の錆にされるだろう。崩れ落ちた少女を支えたエペからわずかに遠ざかり、チェネレはふと視線を巡らせた。
チェネレ「…………シャル?」
影のように佇むセーレが、廊下の奥からこちらを見ていた。
輝く緋色の瞳が瞬くと、その手からこぼれ落ちた一枚の護符が、煌きながらひらりと舞って地面に溶けた。
*
クロウは駆け出した。
痛みすら麻痺した右腕を流し、踏み込みの勢いで思い切り横っ面を叩く。
が、それは受け止められるだろう。
だから、
クロウ「rime(訳:氷華)」
囁くように放たれた魔術が、たちまち周囲の気温を下げた。
未だ降り続く霧雨に濡れたトートの顔を覆う仮面までもパキパキと音を立てて氷華が飲み込んでゆく。
「前、見えづらいだろ?」
一閃。
叩きつけた剣をくるりと下から振り上げて、狙い違わずトートの仮面を、捉える。
青年が指を鳴らすと同時に、混乱する少女が崩れ落ちる。
トート「だいせいかーい!」
声音はあくまで軽やかに。
挙げて居た手を降ろし、少し首を傾げて少年を見やる。
そして自らもまた、口の中に広がる血の味を遠いところで感じて居た。
どうやら無意識に唇を噛み締めて居たようだ。
刀をもう一度ゆっくりと構える。
足元から緩やかに魔力が立ち上る。
「エペ、その子に今の事全部忘れさせといて。……此奴は、僕が殺す」
くぐもった悲鳴が視界とともにブレると、力を込めていた両手から刀はてっぱずれ、脇腹に走る衝撃に木の葉のように身体が舞った。
ゴロゴロと石畳を転がり、傷ついた右腕を突こうとすると襲った激痛に歯ぎしりする。
耳鳴りのようにビリビリと蔓延する痛みはタチの悪い毒にも似ていた。
「……嫌いなんだよなぁ。何考えてるかわっかんねぇような、ツラしやがって。」
いつの間にか切ったらしい、口の中に溜まった血を唾液と共に吐き出して言う。
このまま右手が使えなくなっても、目の前のことに集中していたかった。
目に見えて魔力が引き出せなくなっている。蓄積した疲労が着実に体力を奪っているのが分かっていても、こいつの正体を見破るまでここで引き下がるわけにはいかなかった。
甘い、毒花の放つ匂いが。
いつかの記憶を呼び覚ます。
……思い出した。
風の噂で聞いた、封印の儀式に失敗して暴れまわるフラウロスが、一夜にしてある一族を滅ぼした。
その悪魔の手綱を唯一握ることが許された少女が、今この男の背後に居るじゃないか。
行方をくらましたペルフェートの弟、立ち尽くす白い髪をした少女。
転がった刀の柄を握り、ゆらりと起き上がる。
真っ直ぐにトートに向けて突き出せば、
「……分かったぞ。」
歪な笑みを貼り付け、クロウは声高に叫んだ。
「お前、兄貴を喰ったな!!」
火花が止んだ後も、未だ交わされたままの刀はギチギチと音を立てて震えている。
トート「別に、君と仲良くした記憶はないんだけれど」
まるで受け止められたのは当然だったとでも言うように、ボティスを名乗る男は応えた。
手に込める力は緩めずに、仮面の奥でゆっくりと目を細める。
黒硝子越しに見える彼の顔は、まだ少年といっても差し支えないほどあどけない。
____嗚呼、見たことがある。
レインオーダー家のドラ息子だ。
そうだ、そうだ。確かに仲が良かった。
何度も話しているのを〝庭から〟見て居たとも。
「クロウ・レインオーダー………そんな些細な事、どうでもいいだろ?」
男の左脚が弧を描き少年の脇腹を蹴り飛ばした。
火花が止んだ後も、未だ交わされたままの刀はギチギチと音を立てて震えている。
トート「別に、君と仲良くした記憶はないんだけれど」
まるで受け止められたのは当然だったとでも言うように、ボティスを名乗る男は応えた。
手に込める力は緩めずに、仮面の奥でゆっくりと目を細める。
黒硝子越しに見える彼の顔は、まだ少年といっても差し支えないほどあどけない。
____嗚呼、見たことがある。
レインオーダー家のドラ息子だ。
そうだ、そうだ。確かに仲が良かった。
何度も話しているのを庭から見て居たとも。
「クロウ・レインオーダー………僕はもう、誰でも無い」
男の左脚が弧を描き少年の脇腹を蹴り飛ばした。
咄嗟に振り上げた刃は恐ろしい勢いで火花を散らし、クロウは息を止める。
肩にまで走った猛烈な痺れ。
重すぎる一撃に、危うく命を奪われかける。
「何だよ、急に、あんなに仲良くしてたじゃねぇか、」
思わず間合いを取りながら、喘ぐように言葉を紡ぐ。
頬を伝った冷や汗が悪寒を呼ぶと、自分が珍しく焦っていることにようやく気付いた。
彼が纏う魔力の質も、その声も、背丈すら、同じなのに。
――――何か違う。
決定的な何か、何を見落としてる?
お前は、お前は。
軋むように漏らした声が、汗とともに滴り落ちた。
「…………お前、誰だ?」
*
……やはり、信用するんじゃなかった。
一抹の期待を寄せたが、ここで他人を信頼することなどやはり愚行に過ぎないのだ。
アガレスは眉間にしわを寄せ、渋面をしつつゆっくりと起き上がる。
ぐったりと意識を手放したままのノエルを大事そうに胸に抱きながら、ギリリとジゼルを睨みつける。
自らの軽快な舌打ちがあの尖塔の頂上の魔術街道の持ち主の自室に響いた。
やっぱりここに繋がっているんだと軽薄な目でその人物に視線を送ると、涼しく微笑まれた。
サングリア「……別に、どういうつもりもねえよ」
エンドの手を引いてここから去ろうとするが、多分上手くいかないだろう。
ほら、あいつは笑って口を開く。
ジゼル「侵入者にしては、手負いだね」
横たわるノエルとアンドラスを一瞥した。
バラムはなにも言わずに、迫り来る攻撃に見向きもせずに主人の背に立った。
自分を見据えて唸る人間に顎を上げて余裕そうに微笑むと、グレモリーの細い腰に腕を回して引き寄せた。
リヒト「はは、ビビってた顔と大違いじゃん。クロウの弟クン♪」
バラムの余裕そうな顔は変わらない。そしてアンドラスにも同じ視線を送った。
既に青年の姿は、そこには無かった。
タンッと一度だけ地面の芝生を踏みつけ、白い衣がクロウの視界で翻る。
手にした白銀の刃は真っ直ぐ彼の胸へ向けて。黒硝子のレンズには一つの感情も無く。
唯そのまま。瞬きをする暇も与えずに。
少年の身体へ、その切っ先ごと青年が沈み込んだように_____見えた。
消えていったアガレスの後ろ姿を見つめながら、ヴォラクは言った。
胡乱な黒色の目に反射する薄い煙は、地上から遅れてやってきた風にあおられて掻き消える。
あの魔術街道の持ち主、そしてその先に繋がっているのは――――
気絶した主人からの魔力が底を尽き、浮力を失った風火二輪は青い火の粉を散らして幻のように消えていった。
崩れ落ちるようになだれ込んだ木目の板の硬い感触に、アガレスはハッとして周囲を見渡す。
細めた目の奥で、アンドロマリウスの猫みたいに細いオレンジ色の瞳孔がアガレスを見下ろしていた。
ヒルフェ「……ジゼル。何、こいつら。」
*
クロウ「大丈夫なもんか。」
残った痛みを払うように幾度か焼けただれた右手を振ると、血の雫がクロウの白い横顔を汚した。
粉砕した氷の粒は星屑のように二人の足元を彩る。
「……メソメソすんなよ。人が死んだくらいで。なぁ、〝ペルフェート〟。」
白い仮面の向こう側に、クロウはかつての友人の名を呼んだ。
*
グレモリーはゆるりと首を振る。
重たげな睫毛の奥で、七色の瞳は何色を灯しているのか窺うことは出来なかった。
レイヴン「……お前の相手は僕らだ。」
今にも張り裂けそうな心臓の音が外にまで聞こえるんじゃないかと思った。
バラムを見据えるレイヴンは、アンドラスに向けられた視線に肯けば、低く唸る。
発する詠唱は短く、鋭く。
まるで天を渦巻く雷にも負けぬ速度の氷柱は、青年の差し出す指の先で瞬く間に霧散した。
トートが展開した防壁は、凡そ掌ほどの範囲しかない。けれどもその正確さと、一部のみに集中させた魔力は揺らぐこと無く、また勢い良く飛散した氷の刃はその速度故か細かく砕けて地に落ちる。
結局、男の背後に立つ三人誰にも飛沫が襲うこと無く、細かい氷のかけらはただトートの白衣に音を立ててぶつかるだけとなる。
「僕、ただの見物人なんだけど」
ボティスと名乗る男は少し首を傾げて少年に問う。
背後では悪魔に縋り付いて少女が啜り泣いている。
「君達を邪魔するつもりは無いからさ」
滔々と語る男のその視線は、少年の足元の白い本。
メルキュールの持つ悪魔のものではない、もう一つのグリモワール。
「見逃してよ」
地面に足がつく数秒前に漆黒の羽は舞うように消え、主人の隣に立ったバラムは前髪を整えながら笑う。
リヒト「手、平気?」
怒号や悲鳴が飛び交っていたというのに、その声は普段通りの揶揄うような明るい声だった。
そして、傍にいたグレモリーに向かって、久しぶりだね。と目を伏せた。
アガレスが入った瞬間にその穴はバチバチと音を立てて何事もなかったように閉じられる。
街道にぽつぽつと立てられた街灯が、この場にいる全員を照らし、じめじめとした感触が肌を覆う。
まだ痺れるような感覚が残る右手を開いたり閉じたり繰り返し、決まりが悪そうにサングリアは口を開いた。
サングリア「……詮索する気も、助けたつもりもねぇよ」
ポケットに手を伸ばして、煙草を取り出し加え、火をつけた。
甘い煙が、低い天井に白く上った。
その目はすぐに、クロウの生み出した氷柱…否、それ以上の何かに向けられる。
イヴァン「…串刺し公の演劇なら他所でやれ!」
全てを打ち砕かんと振るわれる大剣は、アンドラスの手にある。油断なくそれを構えて、一瞬背後の主に目配せをした。指示を、果たして彼はくれるのか。
信じるか信じまいか、一度は剣を交えた相手を前に、しかし迷っている暇などなかった。
かつてサングリアは風の魔術を操っていたはずだ。一体何が、彼の心を変えたのか。
漠然としたパズルのピースが頭の中で生まれては組み合わさることなく消え、アガレスはその街道へと突っ込んでいった。
*
天空に渦巻く二色の雷が瞬く間に中庭の空気をパチパチと泡立たせた。
粉々に砕け散った氷の粒がダイアモンドダストのように宙を舞う。
肌の表面にまで這う不快な静電気はふわりとクロウの豊かな黒髪を膨らませた。
クロウ「やるじゃねぇか、ボンクラぁ!」
石畳に突き刺した草薙の剣を音高く引き抜けば、
「串刺しになりてぇやつから前に来い!Whirlwind!(訳:旋風)」
雨を呼ぶ刃から吹き出した水流は鋒に向かって渦を巻き、巨大なドリルのように形を変える。
「Icicle!(訳:氷柱)」
そして、ビシィ!と一瞬にして凍りついたそれが、トートたちめがけて凄まじい勢いで発射された。
慟哭の中で、時間が止まったようにキザに微笑んでいるだけだった。
サングリアは、自身が放った電子の残滓を魔法に降り注ぐ追撃の防壁に変え、頭の中である一つの答えに辿り着く。
そして、エンドと小さく自分の悪魔の名前を呼んで、左手で彼女の腕を掴んだ。
サングリア「Spannung(訳/電圧)」
右腕が黄色く光り、頭上の電子と氷の刃がバチバチと音を立ててその膨大な黄色に飲み込まれる。
尖塔の頂上、振り返る先に広がるのは、灰色の空、周囲が静電気に包まれるほどの強い電圧が支配する。
「俺は、魔法使いには成れないよ」
彼女に向けた台詞だったのか、自分自身に向けられた台詞だったのか、はたまたその両方か。
サングリアは笑っていた。笑うしかないというように。
返答も待たずに、唸りをあげて腕が振られると、空間が引きちぎれるような音が響き凄まじい電圧は一斉に放たれる。
空間の歪は、網目状に広がりバリバリと音を立て、〝誰かの罠のような〟空洞が、街道が広がっていた。
「てめーらの墓場はこっちだ馬鹿」
来い!と大声はアガレスに向けて放たれた。
唯一レイヴンにだけ従う気性の荒い悪魔は、ちらりと主の顔を見る。深紅の瞳は、相も変わらず凪いだ水面のような静かで。
イヴァン「掴まってろよ」
ひと声かけると、突如としてアンドラスの身体を紫色の雷電が走り抜ける。そのままそれらは彼の右腕に集まり、淡い光を放った。
大剣を持った右腕を勢い良く天に突き上げる。刹那、バチリと鋭い音を立て、高々と掲げた剣の鋒から雷が迸った。頭上から無数に降り注ぐ氷の槍を、雷電は打ち砕いた。
けれど腰に走った衝撃で目蓋を開ければ、いつもの、と言っても過言ではないアンドラスの横顔があった。
なくてはならないもの、
欠けてはいけないもの。
僕の一部で、僕がここに居る意味そのもの。
レイヴン「っ……、」
発しようとした声は喉で掠れ、自分の身体がまだ震えているのに気付いた。
いつになっても弱いままで、彼の胸元に縋り付いている。
――イヴァンが居なくなったら、僕に何が出来るんだろう。
目の当たりにした惨劇がまだ脳裏に焼き付いている。
氷の槍が、容赦なく2人の頭上にも降り注ぐ。
恐らく悪魔の胸中を占める感情を言い表すのにこれ以上相応しい言葉も無かっただろう。
この馬鹿げた茶番劇に幕を引けるほど、差し挟める口が上手いわけではなかった。湧き上がる嫌悪感は言葉で言い表せない。
我ら悪魔が、使役されるに足りず、抵抗も許されず虐げられるとは。ああ、嗚呼、これではまるで人間のようではないか!
イヴァン「レイヴン!」
一瞬。閃光が閃くように、紫色の雷電がバチリと音を立てアンドラスの身体を覆った。
悪魔に似つかわしくない、白い、しろい、穢れを知らない天使の羽根。それが羽ばたいて向かった先は、気性が荒く従えづらいと云われるアンドラスが唯一従う、主の元。
木の葉のように宙を舞った主の身体を受け止め、そのまま空中で体勢を立て直す。片手で主を抱えた悪魔のもう片手には、いつぶりかのように姿を現した大剣が握られていた。
焼け爛れた右腕を押さえながら、さも愉快そうに尾を引く彗星を見上げる殺人鬼は、歪ませた笑みを意地悪く頬に貼り付けたまま言った。
しかし次の瞬間には紙芝居のように表情を入れ替え、
「リヒト!ぼっとしてんじゃねぇぞ!捕まえろ!」
空に向かって怒鳴り声を上げる。
が、
ヘカテー「リヒト!」
バラムを呼ぶ声が二重に響いたということに気付いたのは、今まで微動だにしなかったグレモリーが駱駝を降り、喜々として走りつつ空へとその両手を手を伸ばしていたからだった。
クロウはギョッとしたようにその様子を視界に入れては目を白黒させ、それから「あんの野郎……!」渾身の力を込めてリヒトへの怒りを自身の左手へとぶつけるが、握りこぶしを作った右手を負傷していることを思い出すと一頻り騒ぎ、一人芝居を繰り広げていた。
クロウ「クソッタレ!逃げられると思うなよ!」
まるで噛ませ犬みたいな台詞を吐いて、「Hail!(訳:雹)」放たれた短い詠唱は、未だ降り続く雨粒を鋭い氷の槍に変えてみせた。
焼け爛れた右腕を押さえながら、さも愉快そうに尾を引く彗星を見上げる殺人鬼は、歪ませた笑みを意地悪く頬に貼り付けたまま言った。
しかし次の瞬間には紙芝居のように表情を入れ替え、
「リヒト!ぼっとしてんじゃねぇぞ!捕まえろ!」
空に向かって怒鳴り声を上げる。
が、
ヘカテー「リヒト!」
バラムを呼ぶ声が二重に響いたということに、今まで微動だにしなかったグレモリーが駱駝を降り、喜々として走りつつ空へとその両手を手を伸ばしていたからだった。
クロウはギョッとしたようにその様子を視界に入れては目を白黒させ、それから「あんの野郎……!」渾身の力を込めてリヒトへの怒りを自身の左手へとぶつけるが、握りこぶしを作った右手を負傷していることを思い出すと一頻り騒ぎ、一人芝居を繰り広げていた。
クロウ「クソッタレ!逃げられると思うなよ!」
まるで噛ませ犬みたいな台詞を吐いて、「Hail!(訳:雹)」放たれた短い詠唱は、未だ降り続く雨粒を鋭い氷の槍に変えてみせた。
その正体を確かめる間もなく、世界はぐるりと180度反転する。
どんどん遠のいていく空を遮り、ふわり香ったのは蓮の花。
夢か現か。
魔力の限界瞬間出量を恐ろしいほどオーバーしたせいで、ぼんやりする頭では上手く物事を考えられないが
まるで雰囲気の違うその横顔が、誰であるかくらいは分かる。
いまだ逆流の後遺症ともいうべき鈍痛を全身に感じながら、それでもノエルは自然に笑った。
そう、無事だったのね。
あんたってつくづくしぶといんだから。
でも、
ほんとうに、
ノエル「…よかっ、た………」
輝く夜空を湛える瞳を見つめ、ふとすれば聞き逃してしまいそうな、掠れた声でようやく呟く。
その言葉を最後に、少女はゆるりと意識を手放した。
その正体を確かめる間もなく、世界はぐるりと180度反転する。
どんどん遠のいていく空を遮り、ふわり香ったのは蓮の花。
夢か現か。
魔力の限界瞬間出量を恐ろしいほどオーバーしたせいで、ぼんやりする頭では上手く物事を考えられないが
まるで雰囲気の違うその横顔が、誰であるかくらいは分かる。
いまだ逆流の後遺症ともいうべき鈍痛を全身に感じながら、それでもノエルは自然に笑った。
そう、無事だったのね。
あんたってつくづくしぶといんだから。
でも、
ほんとうに、
ノエル「…よかっ、た………」
吸い込まれそうな桃色の瞳を見つめ、ふとすれば聞き逃してしまいそうな、掠れた声でようやく呟く。
その言葉を最後に、少女はゆるりと意識を手放した。
視界はぼやけ、あまりの痛みに遠のいた聴覚に、狙い澄まして突き刺さる。
間もなく疲弊した心臓がその役割を終えようとしかけていた、刹那。
クロウ「いっ……!」
バチン!と蒼い閃光がクロウの右腕を弾き、眩い火花を散らした。
焼け焦げた肉の臭いが鼻をつく。確かに、そこにアルルは居た。
決壊した大瀑布のように押し寄せる凄まじい魔力が、一瞬にしてクロウの魔力に侵された身体を満たしてゆく。
かつてないほどにみなぎる魔力は噎せかえるような殺気をまとう赤黒い障気を掻き消していった。
細い身体は宙を舞う。ヒラヒラと波打つ混天稜が、淡く光を放っていた。
毛先だけ空色を灯す鮮やかな桃色の髪がくるりと二つお団子に束ねられ、白い四肢が蓮の花を象った装束に呑み込まれてゆく。
アルル「風火二輪」
蒼い炎が爆発した。
アルルの呼び声に応え火を噴く車輪が、素足の下で激しく回りだす。
水色の尾を引く彗星が、落ちる彼女の元へ飛来した。
ノエルの華奢な背中と脚を支え、夜空色の瞳を耀かせる凛々しい横顔は、少年神・哪吒太子だった。
レイヴン「うわっあ……!?」
音高く弾けとんだ拘束は、同じく縛り付けられていたレイヴンをも自由の身にした。
支えをなくし自由落下を始める身体、レイヴンは情けない声をあげる。
視界はぼやけ、あまりの痛みに遠のいた聴覚に、狙い澄まして突き刺さる。
間もなく疲弊した心臓がその役割を終えようとしかけていた、刹那。
クロウ「いっ……!」
バチン!と蒼い閃光がクロウの右腕を弾き、眩い火花を散らした。
焼け焦げた肉の臭いが鼻をつく。確かに、そこにアルルは居た。
決壊した大瀑布のように押し寄せる凄まじい魔力が、一瞬にしてクロウの魔力に侵された身体を満たしてゆく。
かつてないほどにみなぎる魔力は噎せかえるような殺気をまとう赤黒い障気を掻き消していった。
細い身体は宙を舞う。ヒラヒラと波打つ混天稜が、淡く光を放っていた。
毛先だけ空色を灯す鮮やかな桃色の髪がくるりと二つお団子に束ねられ、白い四肢が蓮の花を象った装束に呑み込まれてゆく。
アルル「風火二輪」
蒼い炎が爆発した。
煌めく桃色の髪が靡く。
アルルの呼び声に応え火を噴く車輪が、素足の下で激しく回りだす。
水色の尾を引く彗星が、落ちる彼女の元へ飛来した。
ノエルの華奢な背中と脚を支え、夜空色の瞳を耀かせる凛々しい横顔は、少年神・哪吒太子だった。
レイヴン「うわっあ……!?」
音高く弾けとんだ拘束は、同じく縛り付けられていたレイヴンをも自由の身にした。
支えをなくし自由落下を始める身体、レイヴンは情けない声をあげる。
視界はぼやけ、あまりの痛みに遠のいた聴覚に、狙い澄まして突き刺さる。
間もなく疲弊した心臓がその役割を終えようとしかけていた、刹那。
クロウ「いっ……!」
バチン!と蒼い閃光がクロウの右腕を弾き、眩い火花を散らした。
焼け焦げた肉の臭いが鼻をつく。確かに、そこにアルルは居た。
決壊した大瀑布のように押し寄せる凄まじい魔力が、一瞬にしてクロウの魔力に侵された身体を満たしてゆく。
かつてないほどにみなぎる魔力は噎せかえるような殺気をまとう赤黒い障気を掻き消していった。
細い身体は宙を舞う。ヒラヒラと波打つ混天稜が、淡く光を放っていた。
白い四肢が蓮の花を象った装束に呑み込まれてゆく。
アルル「風火二輪」
蒼い炎が爆発した。
煌めく空色の髪が靡く。
アルルの呼び声に応え火を噴く車輪が、素足の下で激しく回りだす。
水色の尾を引く彗星が、落ちる彼女の元へ飛来した。
ノエルの華奢な背中と脚を支え、桃色の瞳を耀かせる凛々しい横顔は、少年神・哪吒太子だった。
レイヴン「うわっあ……!?」
音高く弾けとんだ拘束は、同じく縛り付けられていたレイヴンをも自由の身にした。
支えをなくし自由落下を始める身体、レイヴンは情けない声をあげる。
全身を襲う名も無き苦痛と、最悪の事態を脳裏に描く眼下の光景に耐え切れず、少女はきつく目を閉じていた。
ノエル「……やめ、て……っ」
自らの悪魔が石畳の上に投げ出されても、
ボロ雑巾のようになるまで甚振られても、
ただ言葉を失い見ていることしか出来ない。
どんなに泣いて叫んでも、誰にも届かない、誰も聞いてくれない、自分が此処に居るのかすら分からない。
ほら見て滑稽だわ、まるで昔に戻ったみたい。
その蚊の鳴くような声、無様に震える痩せた肩。
欠陥品、望まれずして産まれた子。神に愛されなかった娘。
あぁ、私はきっと、あの頃からなにも変わっていなくて
『わたしの、お美しくて無力な姉様(めがみさま)』
刹那に響いた幻聴は、心の奥底に蟠るコールタールのような過去。
私と同じ、橙の瞳。鈴の鳴る様な声、無垢な笑顔。
あの子の全てがこの世の何よりも嫌いだった
討ち取った敵の首を掲げ高らかに勝利を歌う騎士よろしく、殺人鬼のよく通る声は確かに彼女に向けられた。
残虐性に塗り潰された、だらりと力なく垂れた脚が、
小さな体躯からぱたりぽたりと滴り落ちる血の涙が、
もはや虚ろな少女の瞳をじわじわと赤に彩っていく。
これは
あの子に無くて私にあるもの
眩いばかりの蒼い光
迸る不可思議な文字列
ヒトより低い体温
確かに此処に居るという証明
奪われる
また奪われる
失くしてしまう
居なくなってしまう
私の"存在理由(レゾンテートル)"が
「………………る、な……」
俯きがちの彼女の、その表情は窺えない。
尖塔の足元から立ち昇る冷気が、その長い髪を、ローブの裾を厳かに舞い上げる。
ただ対象を戒める為だけに存在し、実体をもたない筈だった霧の拘束が、徐々に白く霞み始める。
パチパチ、キリキリと水蒸気が昇華する音が微かに、しかし確かに響いた。
抗え、足掻け、奪い返せ。
風のように、火のように、怒涛の如く押し寄せる水のように。
私は―――何も出来ない大理石の偶像じゃない。
「私の悪魔に触るな!!!!!」
鼓膜を突き破るような甲高い音と共に、完全に氷と化した束縛は爆ぜるように弾け飛び、無数の冷たい残滓となって宙を舞った。
静止するアンドラスと、苦悶の声を上げる彼女と、自らの兄へと順繰りに視界を巡らせれば、何が起きているのか、ようやく頭が理解し始めようとしていた。
クロウ「ふっ、は、はっはっはっは!良い声で鳴くねぇ!」
ああ、この声。
この狂った見世物にピッタリの伴奏じゃないか。
背筋がゾクゾクするほどの快感に、手のひらに巻きつけた鎖を引き絞りながら、上機嫌に殺人鬼は言う。
深い水底から碇を持ち上げるが如く、手繰り寄せられる鎖は、クロウの右腕は、沈み込んでいたグリモワールから顔を出す。
不吉に輝くシジルから、一つ、また一つと鎖の輪が持ち上げられれば、着実にその先に繋がる獲物も引き寄せられる。
アルル「ぃ、や、っあ”ぁ”、やだ、やだっ……嫌だあぁああああぁ!!」
質の悪い猛毒のようだ、瞬く間に小さな身体を満たした魔力が、行き場もなく激しい鼓動の導くままに体内を蹂躙する。魔術回路を伝うそれらが、ついに血管をも食い破り皮膚の上に赤い華を咲かせた。
そして、地獄の釜の底から届く怨嗟にも似た喘鳴を細い喉から漏らして、ついに黒いローブの頭が見えた。
ズルリ、ズルリと容赦なく、長いローブに覆われた上半身から伸びる、青白い脚の爪先まで、石畳の上に浜辺へ打ち上げられた鯨よろしく引きずり出される。
グリモワールは音高く閉じられた。そこにはもう銀色の鎖はない。
掠れた息遣いが事切れる寸前の猛獣のそれによく似ていた。
グリモワールを小脇に抱え、倒れ伏すアガレスの元へ、クロウはゆったりと嬲るように歩み寄る。
そうして、革靴の先で思い切り、アガレスの腹部を蹴りつけた。
「がふっ……!……ぐ……、」
アガレスが溢れ出した血のあぶくに口元を汚してもなお、クロウは執拗に無抵抗の悪魔を虐げた。
やがてうめき声すら上げられなくなったアガレスを心底つまらなそうに見下ろして、無造作にローブを剥ぎ取った。そこに居たのは年端も行かぬ少年、粗末な麻の衣に身を包んだ、まだあどけない顔立ちをした子供だったのだ。
クロウ「おい、見ろよ。狸爺の正体はこんな小せぇ子供だ!大魔神アガレスも大したもんじゃねぇなあ!」
晒された細首を鷲掴みにし、見せつけるようにぐったりしたアルルを彼女に掲げて見せる。
指先から、爪先から、とめどもなく鮮血が滴り落ちた。
自由を奪われ、四肢を縛られ、何も出来ないでいる間に、目の前の現実は確実に進化していく。
彼特有の、長い、長い呪文を聞いている間にも、口の中がカラカラに乾いていった。
嫌な予感、なんて段階ではない。
もはや直感、本能、第六感とも言うべきなにかが、それを止めさせろと絶叫している。
血色をした彗星の尾を引いて、無慈悲に振り下ろされた右腕は、まるで審判を下すようだった。
驚愕に見開かれた両の目が、恐らくこの学園に来てから初めて恐怖に染まる。
ノエル「待っ―――――!!」
瞬間、心臓の奥の奥が、ドクンと確かに身動ぎをする。
屠殺した家畜の肉塊に爪を突き立てると、恐らくこんな音がするだろう。
全身を脈打ち流れる血液が氷水になると、恐らくこんな感覚なのだろう。
この身を縊り拗じられ細切れにされると、恐らくこんな体感なのだろう。
吐き気悪寒頭痛痺れ眩暈激痛鈍痛呼吸困難動悸痙攣悪心発熱神経過敏飢え乾き意識消沈錯乱幻覚無気力
世界中のありとあらゆる"不快"を一緒くたにして鍋にぶち込み、三日三晩煮詰めたようだ。
契約した悪魔のグリモワール…本来なら自分の魔力しか流れない筈の回路を、強引に第三者の魔力がこじ開ける異常。
気持ち悪い
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!
「っく、は、…ぁぁあああっ……!!」
じわりぐらりと視界が揺れる。
崖から落ちるように訪れた苦痛の混合物に思わず意識を手放しそうになったとき、耳を劈く絶叫が聞こえた。
悲痛に濡れる橙の瞳が、こんな状況でも、乱雑に描かれたシジルにハッと向けられる。
悪魔の絶叫が遥か上空まで響き、マジかよ、とキッと視線を上げた先には、あの人間の悪魔がキザに微笑んでいた。
悪魔の口がわずかに動いた。
その台詞は俺にではなく、同級生に向けられたものだとすぐにわかった。
絶叫の隙間、「最初から君は何も知らないからね。」と確かに悪魔は言ったのだ。
リヒト「Methought I heard a voice cry “Sleep no more.Macbeth does murder sleep,”」
(「叫び声が聞こえたようだった、"もう眠りはない、マクベスは眠りを殺した"」)
どう言う意味だと問い詰めるより先に、魔法は唱えられる。
二人を縛り付けていた触手が青白い霧になり、空気に溶ける。
そして、霧は電気の残滓を纏い、落下する二人を他所にパチンと指が鳴れば、尖塔を爆破させた。
悪魔の絶叫が遥か上空まで響き、マジかよ、とキッと視線を上げた先には、あの人間の悪魔がキザに微笑んでいた。
悪魔の口がわずかに動いた。
その台詞は俺にではなく、同級生に向けられたものだとすぐにわかった。
絶叫の隙間、「最初から君は何も知らないからね。」と確かに悪魔は言ったのだ。
リヒト「Methought I heard a voice cry “Sleep no more.Macbeth does murder sleep,”」
(「叫び声が聞こえたようだった、"もう眠りはない、マクベスは眠りを殺した"」)
どう言う意味だと問い詰めるより先に、魔法は唱えられる。
二人を縛り付けていた触手が青白い霧になり、空気に溶ける。
そして、霧は電気の残滓を纏い、落下する二人を他所にパチンと指あ鳴れば、尖塔を爆破させた。
今が好機だと思ったその思考は、割れるような鐘の音にかき消された。
天使の翼が空を切るより、ほんの数秒早く空を切り裂いた叫び声。石畳に染み出した赤黒い靄が描いたのは、間違えようもないアガレスの魔法陣であった。
重く、激しく、濁った悲鳴が耳を劈く。
これならまだ、地獄の業火のほうがマシかもしれない。
響く悲鳴、轟く雷と勇敢な助け舟。
けれど全てが今から始まる見世物を盛り上げるものにほかならない。
「お前ら、見物人は見物人らしく、そこで黙って見てろよ。」
振り上げた草薙の剣を石畳に突き刺すと、周囲を一瞥してクロウは続けた。
カラカラと犬歯を見せて高笑いすれば、手にしたグリモワールを無造作に開く。
バラバラとめくれるページがアガレスのシジルを一面に刻むそこで止まれば、
「Order!(訳:聞け)」
蜃気楼のように赤黒い魔力を纏った右手を翳し、乾いた羊皮紙の表面に触れる。
わずかに怒気を込めたその命令と共に、
「〝ゆくぞ、それで、終わりだ。鐘が呼んでいる。〟
「〝ダンカン、あの音を耳にするな、あれはおまえを天国か、地獄へ呼び出す弔いの鐘だ。〟」
光り輝くグリモワールが、拒むように一層激しく光を放った。
直後、耳を劈くような大音量で、時計塔の鐘が鳴る。頭痛を伴って、強く、大きく、三半規管を掻き乱す。
振り上げた右腕は、呼応するように赤黒いオーラを尾のように引いて、
刹那、ずぶりと、クロウの右手が〝沈んだ〟。
肘まで沈み込んだクロウの右腕は、グチャグチャと血肉を掻き分けるようにその奥を弄る。
それはたった一つの繋がりで、たった一つの導線だ。
「知ってるか?悪魔と人間を繋ぐのは、こんな鎖一本だけなんだぜ。」
ぐ、と探り当てた冷たい鎖の先を握り、確かに、クロウはノエルを見上げ、ギタリと嗤う。
こんなに五月蝿い鐘の音の隙間から、その声だけが切り取られたようにくっきりと聴こえる。
鎖を伝って流れ込む赤黒い魔力が、重く、反発する鎖の先の獲物を絡め取る。
深い、羊水に揺蕩ういつかの夢の中。
まとわり付く不快な、粘液質の悪意が、全身を搦め取ってゆくのを感じた。背筋を凍らせる悪寒に犯されて、あの温もりから引き摺り出される。
流し込まれる赤黒い魔力に飲み込まれ吸い取られる、彼女の魔力が足りない。
身体中の魔術回路を無理やりこじ開ける毒がビリビリと血管を通り手足の自由をも奪ってゆく。それがジワジワと心臓へとたどり着いた時、脈打ち送り出されたその魔力が小さな身体をあっという間に巡って、内側から引き裂くような激痛へと変わる。
石畳に赤黒い靄がシミのように浮き出した。
それが、グチャグチャと奇妙に組み代わり乱暴に描き出したのは、禍々しい光を放つアガレスの召喚陣だった。
アルル「――――あ”あ”あ”あ”ぁ”あ”ぁ”あ”あ”あ”ぁ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ!!!!!!」
死の淵の断末魔より、恐怖の金切り声より、その濁った絶叫は地の底から、垂れ篭める分厚い雲をも貫くように、学園中に木霊した。
*
フラウロスは動けずにいた。
その場に釘付けにされたわけでもあるまいに、凍りついた四肢は空回る思考と裏腹に言うことなど利かない。
こんな鮮やかな血の色を教えなかったのは、
こんな悍ましい死の味を教えなかったのは、
違う、
全部私がやった、
でも、あのとき私を見てくれたのは、
チェネレ「……だ、駄目…………っ!」
体より先に口が動いた。
冷たい指先は封印でも解かれたように迷いなく少女の腕を掴んで引き寄せる。
咄嗟に目元を覆った手は確かに、あの日血まみれだった。
一方に全ての重さがかかり、それで思い出したかのように白銀の槍が漸く降ろされた。
力を失った肉塊がずるりと槍身を伝って地面に落ちる。
少女に抱き付かれた時、その黄金の瞳が此方を見つめた時、水面のようなその瞳の奥を見て、ガープはこの少女はもう駄目なのだと素直に悟った。
嗚呼、何度も見た瞳だ。
悪魔が魂を奪う直前の人間の目だ。
悪魔はゆっくりとその手を伸ばし、少女を抱きしめて頭を撫でた。
今出来ることはそれしかあるまい。親愛なるディエーリヴァならなんと言うのだろう。
死の直前まで輝く瞳をしていた彼女なら。
*
「きゃあぁあああ!!!」と可愛らしい少女の声が、しかし布を裂いたような恐怖の叫び声が中庭にこだました時、ボティスと名乗る悪魔は心の底で「しまった」と思った。
血濡れの中庭。転がる肉塊。
首と胴が別離してしまった彼の瞳はただ虚空を見つめて濁っている。
マスクの所為で、広がる血のにおいが分からなかったのだろう。
中庭に降り立って初めて目の当たりにした光景は想像していた10倍ほどグロテスクだった。
何もそんなに愉快な殺し方をしなくてもいいのに。
犠牲者も、二次被害者も気の毒ではないか。特に可愛い少女のトラウマにでもなったらどうしてくれるのだろう。
ふう、とため息をついたその時だった。
おいで、バラムの口はそう動いた。
瞬間、ほんの僅かに空気に唸る魔力の変化は訪れる。
コンマ1秒遅れてバラムはその正体を確かめようと振り返った。
そのとき
???「Elektrizität(訳/電気)」
バチンと音を立てて、黄色のスパークは中庭を震わせるように轟き上空を覆った。
細く長い電気の糸は人間と悪魔、否、ダモクレスの剣の周りを帯び、ジリリと音を鳴らす。
バラムは二人の頭上の剣を落とそうとするが、先程と同じ声で魔法は唱えられる。
「Blitz(訳/稲妻)」
威嚇するように細い電気が刀のような稲妻が灰色の空をジグザグに裂き、凄まじい雷が二本のダモクレスの剣に落ちる。
しかしその落下は止まらない。
バラムの瞳はこの魔法を唱えた者を、尖塔の頂きで捉えた。
「Denmetsu(訳/電滅)」
ダモクレスの剣に帯びる電気は肥大化し、上空まで刀身上に伸び黄色い爆炎を放った。
爆煙が舞い、静電気のような微々たる電気を纏った煙が開けるとき、ダモクレスの剣は消滅していた。
バラムは表情を変えない。魔術を唱えた同じ声で「同級生」と響く。
サングリア「あのときの借り、返すわ」
これでチャラだろ、と不敵に笑った。
おいで、バラムの口はそう動いた。
瞬間、ほんの僅かに空気に唸る魔力の変化は訪れる。
コンマ1秒遅れてバラムはその正体を確かめようと振り返った。
そのとき
???「Elektrizität(訳/電気)」
バチンと音を立てて、黄色のスパークは中庭を震わせるように轟き上空を覆った。
細く長い電気の糸は人間と悪魔、否、ダモクレスの剣の周りを帯び、ジリリと音を鳴らす。
バラムは二人の頭上の剣を落とそうとするが、先程と同じ声で魔法は唱えられる。
「Blitz(訳/稲妻)」
威嚇するように細い電気が刀のような稲妻が灰色の空をジグザグに裂き、凄まじい雷が二本のダモクレスの剣に落ちる。
しかしその落下は止まらない。
バラムの瞳はこの魔法を唱えた者を、尖塔の頂きで捉えた。
「Denmetsu(訳/電滅)
ダモクレスの剣に帯びる電気は肥大化し、上空まで刀身上に伸び黄色い爆炎を放った。
爆煙が舞い、静電気のような微々たる電気を纏った煙が開けるとき、ダモクレスの剣は消滅していた。
バラムは表情を変えない。魔術を唱えた同じ声で「同級生」と響く。
サングリア「あのときの借り、返すわ」
これでチャラだろ、と不敵に笑った。
彼女の魔力を纏うこの書物こそ、これからの見世物に必要なものだ。
クロウは、何か言おうとして口を開く。
しかし、それより先に聞こえたのは。
紛れもなく、けたたましく響く少女の悲鳴だった。
*
自らの胃液で薄黄色く髪を、ブラウスを汚して、リュエールはひとしきり笑い終えて満足したのか、小走りにガープへと駆け寄った。
未だその手に握られる槍など目にも入らないと言うように、苦い顔をする悪魔の胸元に飛びついて心底嬉しそうに微笑んでみせるのだ。
それはアマイモンが自身を認めてくれたからなのか、それとも。
もはや読めない思考は、くすんだ黄金色の瞳の奥底へ沈み込んでしまった。
事切れたマルコシアスは、もう何も言わなかった。
ぽつり、自分が呟いたはずの感嘆詞が、やけに遠くで聞こえる。
視覚意外の感覚が切断されたかのように、すうっと手足の感覚が無くなっていくのにすら気付かない。
目の前で起きていることが、にわかには信じられなかった。
否、その両眼に映るリアルを信じたくないと、深層心理が無意識のうちに自己を防衛したのかもしれない。
見間違いであれと、勘違いであれと、さもなくば夢であれと自分の中の何かが喚き散らす。
理解しがたい現状に、理解したくない現実に、頭の中でぐわんぐわんと警鐘が鳴る。
無惨にも撃ち落とされた鳥のように、くるくると旋回しながら宙を舞う一冊の分厚い書物。
その表紙が、羊皮紙の質感が、見慣れたシジルが、少女にひゅっと鋭く息を呑ませた。
「…そ、れ…………何で…!」
驚愕と絶望で絞り出した声は、皮肉にも、奇術を目の当たりにした観客の台詞に酷似していた。
偽物?魔術による幻想?違う、あれは紛れもないアガレスのグリモワールだ。
でもなんで、あの日、父の書斎からそれを見つけた瞬間から、その本の持ち運びには細心の注意を払って…
嗚呼、無駄なのか。
彼等の前では、常識的な事物は須く無駄なのか。
バラムは表情を変えない。
背中の翼が大きく揺れ、奇妙に膨張したと思えば背後のノエルの姿を暗影に隠した。
バラムは何かを呟いた。魔法のように流暢に。
右手を広げれば、そこにはアガレスのシジルが刻まれていた。
「It is the night of the last to need in magicians(魔法使いでいる最後の夜だ)
「Any more, you won't warm a hand over the month.」(君はもう、月に手を翳さない)
「For you who shoot me down sometime,」(いつか私を撃ち落とす君に告ぐ)
右掌に刻まれたシジルは青く光り輝き、空は暴れるように荒れ狂い、立っているのがやっとなほどの嵐が吹き抜ける。ダモグレスの剣は大きく揺れ、尚もその頭上を捉えている。
轟音の隙間、悪魔はまだ何かを唱えていた。
数秒が永遠に思えるほどの濃い魔力が上空で渦を巻き、その魔力は肌を突き刺すほど鋭い。
弱まる風が、この魔法の終わりのようで、最後の一節は唱えられる
「Please if I appear again」(私がまた現れたら、どうかまた)
「With me」(私と)
静寂と共に、バラムが手にしていたのは、背後の人間の、アガレスのグリモワール。
「どれも真実だけど、どれも不正解だよ」
動かなかったアンドラスと、背後のノエルに向かってその台詞は放たれる。
そして、下で合図をした自らの主人に、そのグリモワールは投げられた。
槍と剣に貫かれたマルコシアスは、だらりと四肢を伸ばしその毛並みを血に汚している。
未だ苦々しい表情を崩さないガープには、愉悦の笑みを浮かべるアマイモンの考えがよくわかっていた。
____純粋に、邪魔だったのだ
自らの計画に歯向かいかねないマルコシアスが。
きっかけはほんの些細なことでいい。
主人に歯向かう意図を見せればすぐさま、このように貫いて見せるつもりだったのだろう。
目を閉じて引き裂いた肉の感覚を想起する。
ただ、威嚇の為だけに向けた槍が自らの意を離れ深く深く突き刺さったことを。
私に従順なフリをしておいて、こういう時ばかり本来の主人の機嫌を伺うのだから。
細められた氷色の瞳が槍に絡まる白い蛇を見遣る。
ファジュル「無様ですねぇ、……ジューダス。ご主人様に歯向かうからです」
どの口が、と言わんばかりにガープの尾が揺れる。
私がこのリュエとかいう少女の事を好きになってしまっても、彼の計画にだけは逆らわないでおこう。
ふう、というため息を吐いて漸く白い蛇がこちらと目を合わせた。
主を人質に取られている以上、自分に拒否権などないのはこの場の誰よりも自分がよく知っている。
しかし、悪魔にとっての―少なくとも、時に馬鹿馬鹿しいほど忠義に厚く情に厚いこの悪魔にとっての―一番の執行力、一番の鎖、一番優先すべきものは、主人のレイヴンからの命令であって。
普段変わらない表情は、僅かに歪んで。
普段凪いだ水面のように静かな紅い瞳は、困惑と憎悪と激情を宿していた。
イヴァン「……ッ、くそ…」
自分がもっと強ければ、序列の高い悪魔だったなら、そもそも主を人質に取られること自体なかったのだろうか。
それとも、序列が高ければ、何の衒いもなく主の身を優先できたのだろうか。その結果犠牲が出るにしても、それはこの学園の摂理だと何の感情も抱かずに切り捨てられたのだろうか?
強く、強く、拳を握り締める。
考えた所で、致し方ないのだ。
悪魔が動けずにいる、今その事実以外、この場の者にとっては必要のないことなのだから。
それ以外に、〝それ〟を示す言葉は無かった。
思わず、ぽかんと口を開け見入っていた。
陽の光に照らされて一層存在感を放つ箱が落とす大きな影が、自分たちは愚か、学園をも飲み込む。
アリーヤ「…………あんた、」
吸い取られる魔力が凄まじい勢いで指先から抜け出ていくのを感じる。
いよいよ、本気で従う気など無くなったらしい。
それでも未だ主人に害を成していない以上、奪い取った悪魔であるマルファスが契約に逆らったことにはならないというわけか。
クク「わあーーー!!すごぉーい!!」
キンキンと響くマルファスの声に重なるように、無邪気な少女の歓声が響く。
膨大な魔力の消費に早くもわずかに疲弊の色を見せるアリーヤに対し、ククは何も感じてなどいないように顔を輝かせていた。
表情が少ないながら心底嫌そうな顔で弟を引き剥がそうとしていたハルファスも、ピタリと動きを止める。
くるくるとよく動く黒曜石の瞳がククを捉えれば、アラーネアを掴んでいた手をパッと離す。
モーリアン「あーっ!この子がハル姉の主さん?わああー!かっわいーい!!おはようございますこんにちは?まぁどっちでもいいか始めまして!僕はむぐんぐぐ」
アラーネア「…………只今」
またしても止めどないマシンガントークの渦に巻き込まれる前に、アラーネアはその長い袖でモーリアンの口を封殺した。
いつも通りの無表情に戻ると、短い返事の後に、けたたましい弟には視線で指示を出す。
お喋りどころか呼吸すら出来なかったらしい黒い方の悪魔は、袖から開放されると大きく息を吸い不満を漏らした。
「っぷはぁ!えっえっねえちょっと!まだまだ全然話し足りないのにぃ!」
「…………後で」
「初めましての挨拶もさよならの挨拶もしてないのにぃ!」
「…………後で」
「ええぇーっ!!んんーあぁーもーう!しっかたないなぁ~」
白く長い袖に隠れたハルファスの左手と、黒くしなやかな袖に包まれたマルファスの右手がひたりと合わさる。
性格も、身なりも、顔の造作すら違う悪魔の姉弟は、全く同じ瞬間にニタリと口角を上げた。
「「Let’s play house./!(おままごとして遊びましょ!)」」
瞬間、学園の上空100m。
腹の底に響くような低い振動音と共に、巨大な二柱のシジルが突如として浮かび上がった。
竜巻のような暴風が、シジルから滝のように吐き出される黒い羽根と白い糸を巻き込んで吹き荒れる。
目も開けていられないほどの風の中、辛うじて視認できるのは、糸が羽根を絡めとり、羽根が糸を束ねている様子。
やがてそれらは2つのシジルを土台とし、ぽっかりと宙に浮かんだ一つの建造物へと形成されていく。
蜘蛛が紡いだ糸に鴉が羽根を飾って造り出された、冷たく無機質な立方体。
空の半分を埋め尽くすような、恐ろしく大きい灰色の箱。
モーリアン「あっはは!マジでひっさひぶりぃー!ただいまぁ!ホーム・スイート・ホーーー厶!!!」
アラーネア「…………煩い、本当に」
建築の悪魔、ハルファスとマルファスによる"城塞"だ。
表情が少ないながら心底嫌そうな顔で弟を引き剥がそうとしていたハルファスも、ピタリと動きを止める。
くるくるとよく動く黒曜石の瞳がククを捉えれば、アラーネアを掴んでいた手をパッと離す。
モーリアン「あーっ!この子がハル姉の主さん?わああー!かっわいーい!!おはようございますこんにちは?まぁどっちでもいいか始めまして!僕はむぐんぐぐ」
アラーネア「…………只今」
またしても止めどないマシンガントークの渦に巻き込まれる前に、アラーネアはその長い袖でモーリアンの口を封殺した。
いつも通りの無表情に戻ると、短い返事の後に、けたたましい弟には視線で指示を出す。
お喋りどころか呼吸すら出来なかったらしい黒い方の悪魔は、袖から開放されると大きく息を吸い不満を漏らした。
「っぷはぁ!えっえっねえちょっと!まだまだ全然話し足りないのにぃ!」
「…………後で」
「初めましての挨拶もさよならの挨拶もしてないのにぃ!」
「…………後で」
「ええぇーっ!!んんーあぁーもーう!しっかたないなぁ~」
白く長い袖に隠れたハルファスの左手と、黒くしなやかな袖に包まれたマルファスの右手がひたりと合わさる。
性格も、身なりも、顔の造作すら違う悪魔の姉弟は、全く同じ瞬間にニタリと口角を上げた。
「「Let’s play house./!(おままごとして遊びましょ!)」」
瞬間、学園の上空100m。
腹の底に響くような低い振動音と共に、巨大な二柱のジジルが突如として浮かび上がった。
竜巻のような暴風が、ジジルから滝のように吐き出される黒い羽根と白い糸を巻き込んで吹き荒れる。
目も開けていられないほどの風の中、辛うじて視認できるのは、糸が羽根を絡めとり、羽根が糸を束ねている様子。
やがてそれらは2つのジジルを土台とし、ぽっかりと宙に浮かんだ一つの建造物へと形成されていく。
蜘蛛が紡いだ糸に鴉が羽根を飾って造り出された、冷たく無機質な立方体。
空の半分を埋め尽くすような、恐ろしく大きい灰色の箱。
モーリアン「あっはは!マジでひっさひぶりぃー!ただいまぁ!ホーム・スイート・ホーーー厶!!!」
アラーネア「…………煩い、本当に」
建築の悪魔、ハルファスとマルファスによる"城塞"だ。
表情が少ないながら心底嫌そうな顔で弟を引き剥がそうとしていたハルファスも、ピタリと動きを止める。
くるくるとよく動く黒曜石の瞳がククを捉えれば、アラーネアを掴んでいた手をパッと離す。
モーリアン「あーっ!この子がハル姉の主さん?わああー!かっわいーい!!おはようございますこんにちは?まぁどっちでもいいか始めまして!僕はむぐんぐぐ」
アラーネア「…………只今」
またしても止めどないマシンガントークの渦に巻き込まれる前に、アラーネアはその長い袖でモーリアンの口を封殺した。
いつも通りの無表情に戻ると、短い返事の後に、けたたましい弟には視線で指示を出す。
お喋りどころか呼吸すら出来なかったらしい黒い方の悪魔は、袖から開放されると大きく息を吸い不満を漏らした。
「っぷはぁ!えっえっねえちょっと!まだまだ全然話し足りないのにぃ!」
「…………後で」
「初めましての挨拶もさよならの挨拶もしてないのにぃ!」
「…………後で」
「ええぇーっ!!んんーあぁーもーう!しっかたないなぁ~」
白く長い袖に隠れたハルファスの左手と、黒くしなやかな袖に包まれたマルファスの右手がひたりと合わさる。
性格も、身なりも、顔の造作すら違う悪魔の姉弟は、全く同じ瞬間にニタリと口角を上げた。
「「Let’s play house./!(おままごとして遊びましょ!)」」
瞬間、学園の上空100m。
腹の底に響くような低い振動音と共に、巨大な二柱のジジルが突如として浮かび上がった。
竜巻のような暴風が、ジジルから滝のように吐き出される黒い羽根と白い糸を巻き込んで吹き荒れる。
目も開けていられないほどの風の中、辛うじて視認できるのは、糸が羽根を絡めとり、羽根が糸を束ねている様子。
やがてそれらは2つのジジルを土台とし、ぽっかりと宙に浮かんだ一つの建造物へと形成されていく。
蜘蛛が紡いだ糸に鴉が羽根を飾って造り出された、冷たく無機質な立方体。
空の半分を埋め尽くすような、恐ろしく大きい灰色の箱。
モーリアン「あっはは!マジでひっさひぶりぃー!ただいまぁ!ホーム・スイート・ホーーー厶!!!」
アラーネア「…………煩い、本当に」
建築の悪魔、ハルファスとマルファスによる"要塞"だ。
自らに敵意を向ける悪魔の気配を至近距離で感じるというのは、こんなにも理性を削るのかと驚愕すらした。
手足を含む身体の末端が冷たく感じるのは、きっと高所に吊るされているからだけではないだろう。
闇の底のようなバラムの瞳をきっ、と睨めつけることで、辛うじてまだ強気を保っていられた。
ノエル「っ………!」
が、不意に昔馴染みが従える悪魔の名前が呼ばれれば、はっとして反射的に彼の悪魔―イヴァンへと視線を向けた。
主を人質にとっているのをいい事に、忠義に厚そうなこの悪魔にも罪の片棒を担がせようというのか。
いよいよもって不味いかもしれないと思った矢先、傍らから聞こえたのは怒号とも聞こえる叫び。
焦りと不安、驚嘆、様々な感情が入り混じった橙の瞳を、ほぼ無意識のうちにレイヴンにも向けた。
自らに敵意を向ける悪魔の気配を至近距離で感じるというのは、こんなにも理性を削るのかと驚愕すらした。
手足を含む身体の末端が冷たく感じるのは、きっと高所に吊るされているからだけではないだろう。
闇の底のようなバラムの瞳をきっ、と睨めつけることで、辛うじてまだ強気を保っていられた。
が、不意に昔馴染みが従える悪魔の名前が呼ばれれば、はっとして反射的に彼の悪魔―イヴァンへと視線を向けた。
主を人質にとっているのをいい事に、忠義に厚そうなこの悪魔にも罪の片棒を担がせようというのか。
いよいよもって不味いかもしれないと思った矢先、傍らから聞こえたのは怒号とも聞こえる叫び。
焦りと不安、驚嘆、様々な感情が入り混じった橙の瞳を、ほぼ無意識のうちにレイヴンにも向けた。
本当の敵は悪魔でもなければ敵対すべき生徒でもない、自らの主人だったなんて。
ジューダス「がっ…………ごぼ……っ……。」
瞬く間に食堂と気管を満たした鉄臭い液体が肺を水浸しにし、口から真っ赤な滝を流れさせる。
濁った声すらも、粘着くその血液に遮られ、言葉にもならなかった。
胸から突き出す2色の刃が、眩い陽の光に照らされて、血をまといてらてらと煌めいていた。
まるでその場に釘付けにされたように動かない身体から、力が抜ける。
崩れ落ちる瞬間、悴んだ手から逃げるように離れたロンギヌスの槍が、膝を突くより重い音を立てて転がった。
串刺しにされた心臓が、もがくように脈打つのを感じる。
虚しい抵抗は、すぐにも終わるだろう。
最期に、マルコシアスが両脇に向けた視線は、怒りとも、呆れともつかない、諦めの色を灯していた。
今さら、自分の言葉が少女に届くわけもなかったのだ。
骨の髄まで侵された心を、アマイモンから救ってやることなど。
ポタポタと胸を真っ赤に染めた鮮血が指先に伝い、床に堕ちる音が生々しく響く。
ニタリと、吊り上げた口元は、嘲りに歪んでいた。
ドレスの裾が緑色の炎に包まれる。
業と燃え盛る炎が一瞬にしてマルコシアスの身体を包み込めば、くすんだ黒色の毛並みをした大きな犬が、だらりと2つの刃に貫かれているばかりだった。
リュエール「ねえねえ!見た!?バッッッッカみたい!アハハハハハ!!!!」
興奮気味に静寂を打ち破る少女の声が、そうして部屋を包み込んだ。
主人として仕える者には誠実に従い、一方で決して嘘を許さない高潔な悪魔。
だからこそ序列35番に名を記すマルコシアスは、彼女の嘘に濡れた言葉に思わず怒りを露わにしたのだろうか。
彼女の身を、二本の刃先が貫いたのは一瞬の事だった。
交差するように身を裂くそれは、白銀の槍と白金の剣。
ファジュル「えぇ、えぇ。貴方の実力ですとも。マスター」
くつくつと喉の奥でパイモンが笑っている。
マルコシアスの身体から、真紅の血が白金の刃を伝う。
テア「……」
白銀の槍を握るガープの表情は渋い。
槍をしとどに濡らす血を見ても、彼女は沈黙を貫いている。
ジューダスが従うべき主に武器を向けることを是としなかったのか。
少女に従う二柱の悪魔は、一瞬のうちに顕現し、同胞である悪魔の身体を切り裂いて見せたのだ。
それは瞬く間に渦を巻き、緑色の火の粉を吹き散らしながらマルコシアスの召喚陣を描いてゆく。
縒れたシーツの端を揺らし、犬の遠吠えの声と共に炎が吹き上がる。
犬の形をしたその火の塊が、徐々に人型へと変貌していくと、そこにはジューダスの姿があった。
ジューダス「マスター、今日はまだ休んでいたほうが良い。それに顔色が良くない、吐いたのか。疲れが祟ったのだろう。」
ベッドから半身起こしたリュエールの元へ、装備を解いたドレス姿で歩み寄る。
傷んだ白い髪を撫で、その傍へしゃがみ込む。
そこへ、目に入った首元の紫色の痕に、黄金色の瞳は見開かれるのだった。
「……マスター、貴女は、ヤツに騙されているのではないか?その痕はなんだ、私では貴女をお守りするには――――」
「うるさい!!!!」
マルコシアスの心配の言葉は、不意に噛みちぎられる。
リュエール「うるさい、うるさいうるさいうるさい、貴女は、私の力で奪い取った、私の悪魔、っだから!!私に指図するな!!」
「貴様、」と歯の隙間から漏れ出した声は。
思わず、手にした冷たい槍を握る音にかき消される。
けれど、じりじりと後ずさったマルコシアスの、哀れな悪魔の末路は、最初から、決まっていたのだった。
中庭に降り立ったフラウロスは、その最後尾でニンマリと口元を歪めた。
血しぶきと人間の悲鳴を伴奏に、あの日、あの家の哀れな〝生贄〟を貪り喰ったのは自分だ。
ふと、横を歩く少女に目をやった。
ただひとり、森羅万象を知る悪魔フラウロスを前に、怯えることを知らなかった少女。
自らの主人が次の瞬間、この直後に起きることすら、本当なら、フラウロスは知っていたはずなのに。
ハトゥールの顔に張り付いた恐怖の感情に、チェネレは今の今まで気付かなかったのだ。
*
突然、頭上に顕現した刃の冷たさに、全身を這う寒気がやまない。
息をするだけであの細く煌く糸が切れてしまいそうだ。
それでも、バラムの台詞にレイヴンの顔色は見る間に変わっていった。
レイヴン「おい……っ!やめろよ、イヴァン!」
キツく縛り付けられた身体をよじり、血を吐くような声で言った。
普段は穏やかな黒色の目が、強く赤色に濁る。
本当に、冗談や洒落でなく眉間にシワが寄るのを感じていた。
ただ、これを聞くのも最後になるのかと思うとほんの少し淋しいような……いや、気のせいだろう。
その光景を前に、ククは心底楽しそうに、底抜けに明るい笑い声を響かせる。
腹を抱え、今はもう無い脚を車椅子の上でバタつかせては、
クク「ねえねえ見せてよ!女王様にぴったりの、素敵なお城はまだ?」
身を乗り出し、無垢な瞳で対の悪魔に問いかける。
*
ぼとり、と音を立てた。
鼓動に合わせて勢いよく脈打ち噴き出す鮮血が、雨に混じり瞬く間にそこら中を血の海に変えてしまった。
鉄錆の臭いだ、散々嗅ぎなれた。
今はもう何も感じない。
雨の冷たさも、血潮の暖かさも。
クロウ「……、」
血に濡れることのない剣先を引き摺りながら、その腕輪に手をかざした。
ひとりでに緩む金の腕輪をこの手に収め、二の腕にするりと滑らせれば、最初から自分のものだったようにしっくり来る。
誰も、助けてなんてくれないのだ。
そう、助けてくれるとしたら悪魔だけ。
その悪魔にすら見捨てられたのなら、もうその手を掴む者はない。
さあ、仕上げだ。
「リヒト。」
クロウは、その手を高く、天に掲げた。
自分は決して悪趣味ではないと言いたいらしい。
それから蛇のような鳥のような何とも言えないマスクを声のした方に向けて、少し考えるように青年は首を傾げた。
「まあいいさ。行くだけ言ってみよう。」
もちろん君たちも来るだろ?と、やけに明るい調子で話す青年の気持ちがハトゥールにはよくわからず、困ったように耳を伏せていた。
滴が脚の傷から中に入り込んでいるかのように冷たく、痛い。
赤い水たまりが広がっていくのが視界の端で見える。
漸く血が、流れ出したのか。
ひりつく喉からはもう声がでない。
悪魔を咎める声も、恐怖に慄く声も、すべて喘鳴となって口から溢れていく。
霧が体にまとわりついてくる。
そんな物がなくとも、もう自分は動けないのに。
涙が、鼻水が、涎が、雨が、もうなにもかもわからないもの全てが顔を伝っていくのがわかる。
怖くて怖くてたまらない。
メルキュール「…………た゛す゛け゛て゛」
零れた涙の隙間から見えた男の顔。
クロウ=レインオーダー。
昔の彼は、そんな顔をするような男だっただろうか。
少年の意識は其処で途絶えた。
………………来る。
??「……?、エッこれ何待ち?あっ僕待ち!?僕待ちなんですか!?!?マジで!?うっわあああそれってなかなかハードル高くないです何なんですエベレストです!?だって何コレ何このシリアスな雰囲気!!まったくもーお通夜かなんかですかぁ!?っていうか昨日もそうでしたよねこんな感じのアンビアンスぶち破って登場しましたよね!?!?僕っていつの間にこーゆー鬱屈した空気吹き飛ばす係になったんです!?乾燥剤!?乾燥剤扱いかな!?まぁ知ってます知ってますとも!!真打ちは遅れて登場するってね!!それではそろそろ眉間にシワの寄ってきたぷりちーなお嬢さん方の期待にお応えして出ちゃおうかなそうしようかな!!いま!!満を持して!!!じゅーやくしゅっきぃいいーーーん!!!!!」
先程どこかから聞こえた絶叫に勝るとも劣らない声量――もはや騒音と呼んで差し支えない――が、ぐわんぐわんと響き渡る。
アリーヤの隣、頭上数メートル。
ひらり、どこからともなく舞い落ちる影のような羽根が、地面に触れたその時。
地面に垂直になるよう描かれた黒黒とした召喚陣から、それを蹴破るように現れたのは使用人の格好をした少年。
しゅたっ、と身軽に着地を決め立ち上がった瞬間、黒曜石の瞳はあまりにも真っ直ぐに彼女(?)を見つけた。
見つけてしまった。
モーリアン「おっわぁあーーっ!!!えっ嘘うそハル姉じゃんハル姉じゃん!!やったああホンモノだああああ!!!」
大きくて丸い瞳を更にまん丸にして、興奮に羽を逆立てながら、モーリアンは一直線に姉の元へ駆け出す。
口を開きかけるも虚しく、突然むんずと肩を掴まれたアラーネアは、上半身を前後左右、滅多矢鱈に揺らされた。
メイドブリムに飾りとして付属する鈴が、遠心力に振られるという慣れない仕打ちに小さく悲鳴を上げる。
アラーネア「…………喧しい、すごく」
マルファスの声が聞こえる直前に顰められた眉は、それ以降ずっとそのままの形を保っている。
数百年ぶりの再会だというのに、ハルファスは既に、この弟にはあと数千年ほど眠っていてほしくなっていた。
バラムは静止したアンドラスに目を細めながら、首筋に触れそうなナイフを宙に投げた。
薄ら笑みを浮かべ、これから起こるショーの余興を楽しむような手慣れた仕草だった。
「The Sword of Damocles(訳/ダモグレスの剣)」
巨大な岩が転げ落ちるような轟然たる音が響き渡り、中庭から遥か離れた尖塔の頭上には二本の剣が顕現した。
縛り上げられた二人の人間の頭上に今にも切れそうな細い糸で剣が吊るされた。
「" inquit,"o Domocle, ipse hanc vitam dequestare et fortunam mean experirri?"」
(〝それではダモクレスよ、おまえはみずからこの暮らしをちょっと味わって、私の幸福を経験する気があるか?〟)
変な気でも起こしたら直ぐ落とすぞと言わんばかりにアンドラスを一瞥し、漆黒の翼を羽ばたかせながら、バラムはノエルの正面に移動した。
悪魔は笑ってなどいなかった。彼女を憐憫の目で見つめ、右肩に触れながら距離を詰める。
「分からないなりに見てもらおうかな」
左耳で彼女にしか聞こえない声で囁く。
パッと手を離しくるりと背を向けた。アンドラスに彼女の口を塞げとゼスチャーした。
「なんせ魔法は、見せ物だし」
声は驚くほど、冷たかった。
*
ザガンはベッドに残る僅かな温もりに触れた。
全部、分かっていたんだと思う。
その上で、俺もあなたもこの結末を選んだ。
嗚呼、本当はあんな願いを叶えたかったわけじゃないのに。
ベッドの傍らの引き出しに手を伸ばす。重い体躯を起こして、そこから煙草とライターを手に取った。
「ね、バルマはさぁ、お嬢様が最後まで生き残れると思う?」マルファスの言葉が蘇る。
同胞に触れられた左目に手を当てながら、空いた手で煙草を咥え火をつけた。
バルマ「……別に俺にしなくてもよかったのに」
奇妙な瞳は閉じられ、煙が天井に上った。
かと言って、この男を言いくるめられる術も見つからない。
長い前髪の下で、悪魔は歯噛みする。
しかし、
チェネレ「…………、」
おぞましい悲鳴を前に、思考が停止する。
素早く視線を巡らせた先に、雨の降る中庭が見えた。
服を掴む白い手をそっと包み込み、頬を寄せて「大丈夫よ」囁いた声はきっと彼女にしか聞こえなかっただろう。
ブーツの踵が木目の床を叩き、フラウロスは立ち上がった。
「悪趣味ね。」
切り替えるように放った一言が、重苦しい空気を塗り替えてゆく。
思いのほか容易に進んだ契約に、悪魔自身はどう思っているのだろう。
トート「………それは残念」
威圧するかのような恐るべき声。
それでも青年は軽い態度を崩さず、困ったように肩さえすくめて見せた。
「僕は別に君たちに危害を加える気はないから。ただの協力関係だよ。ほら、だって、一人より二人の方が純粋に強いだろう?」
飄々とした態度で話す様子には、本当に敵意は見当たらない。
しかし、だからこそ、この学園ではあまりにも異質だ。
「それに____」
その時だ。
青年が二の句を継ごうとした瞬間、劈くような叫び声が空気を揺らした。
恐らく先ほど大きな物音がした中庭の方からだろう。
二人のやり取りをおどおどと見つめていたハトゥールはびくりと体を震わせて、チェネレの衣服を掴む。
トート「おっと、見物に行く前に死んじゃったかな?」
ぴたりと、空中で悪魔の動きは静止する。
主の喉元に突きつけられた、銀色に光る刃を視界に捉えた悪魔は、伸ばしかけていた腕を静かに下ろした。
純白の翼が、音もなく空を切る。宙で悪魔の身体を支えているそれは、相変わらず"悪魔"という存在には似つかわしくなく、しかし不思議と不自然ではない、天使の翼。人のものとも天使のものとも明らかに違う、魔の宿った紅の瞳がなければ、彼は天使であったのだろうか。
おそらくは、バラムに何か文句の一つでも言おうとしたのだろう。アンドラスは、契約者を危険に晒すことを嫌う悪魔だ。
無駄だと思ったか、口にするのが面倒になったか。理由は定かではないが、アンドラスは開きかけた口を静かに閉じた。
手を差し出している彼が、きっと疲れてしまうほどに。
おもむろに悪魔は立ち上がった。
自らの主人を守るように、
チェネレ「…………あなたを、信じたわけじゃないわ。」
フラウロスは、挑むような視線で、彼を睨みつけた。
地を這うような悪魔の声は、にわかにこの部屋を満たした魔力をも震わせるような気がした。
*
アリーヤ「…………悪かったわ。」
バツが悪そうに、アリーヤは言う。
苦笑はやがて垂れ篭める暗雲の下で、心なしか歪んで見えた。
もしかしたら、まだ期待していたのかもしれない。
どうせ、来てくれないと分かっていたのに。
「何して遊ぶの、お嬢さん。」
そこに居る悪魔の正体を知っている。
ハルファスが、求める相手はたった1人。
――だから、私が邪魔なのでしょう、マルファス。
クク「女王様ごっこよ、dearest sister.(訳:親愛なるお姉さま)」
少女はにっこりと微笑んで、車椅子のままお辞儀する。
まるで中庭の向こうの絶叫なんて聞こえないみたいに。
「ねえ、〝そこ〟に居るんでしょう。」
少女はアリーヤの隣を見据えている。
まるでそこに、もう1人居るかのように。
確かに、あの時まで、自分の意思で、確固たる想いで、必死に〝彼女〟を追い求めていた。
でも、もうどうでもいい。
全部、絵空事みたいに思える。
だから子供が戯れに紙切れを破くみたいに、世界を壊すなんて容易いのだ。
それが例え、見ず知らずの通行人だったとしても。
血を分けた家族だったとしても。
――――俺にとっては、全部同じだ。
クロウ「……………………………………別に、何も憎くなんかないさ。」
うねる霧の触手を左手で束ね、そして蛇のように彼らは悲鳴を上げるメルキュールへと伸びてゆく。
クロウが一歩踏み出すたびに、青白い霧は雨にけぶり、その姿を歪ませてゆく。
呟くような声がして、右手に握る刃がゆらりと振りかざされる。
それは、雨粒を刀身に受けて、てらてらと赤黒く光る。
グレモリーはそれを、ただ黙って見つめていた。
どれだけ強く求められても、その声に応えることは、決してなかった。
物言わぬ置物のように、審判が、下されるのを待つように。
「そこに居たのが悪いんだよ。」
なぜ、こんなにも冷たいのだろう。自分の喉から発せられる声が、あまりにも低くて、気味が悪い。
けれど、貪欲な霧の触手がしゅるり獲物を捕らえると、鮮やかな動きで丸々太った腕に、胴体に、そして切り裂かれた脚に巻きつく。
嬲るようにメルキュールの顎を撫でた鋒が、そうして、斜めに振り下ろされた。
石造りの壁にナイフが突き刺さる甲高い音が響くと同時に、切り取られた無数の毛髪が金糸のように舞った。
目線だけを動かして横を見やると、レイヴンを助けに来た悪魔に対してその主人を人質にとっているらしい。
つくづく下劣極まりない遣り口だと眉を顰めると同時に、益々その意図が分からなくなる。
人払いをするだけなら、わざわざこんな手のこんだ真似をする必要なんてない。
瞬きをするよりも早く命を奪うなんて、彼らにとっては朝飯前だろう。
気づくと下界は、巨大な龍でも暴れているかのごとき土煙が舞っていた。
ああ、それともまた貴方は、全てがエンターテインメントだというのか。
最悪の状況に、小さく歯噛みする。
◇
ビリビリと空気を震わす絶叫がどこかから聞こえてくる。
蜘蛛の脚をもつ悪魔は、主人の車椅子の傍に静かに佇んでいた。
ジャスミンイエローの瞳に光はなく、穏やかな湖面のようでありながら何を映すこともしない。
ひどくゆっくりと瞬きをした。まるで、彼女が確かにそこにいることを確認するかのように。
アラーネア「………遅刻」
今にも消え入りそうなその声音には、微かに叱責の色が浮かんでいた。
待たされるのは嫌いなのだろうか。
石造りの壁にナイフが突き刺さる甲高い音が響くと同時に、切り取られた無数の毛髪
が金糸のように舞った。
目線だけを動かして横を見やると、レイヴンを助けに来た悪魔に対してその主人を人質にとっているらしい。
つくづく下劣極まりない遣り口だと眉を顰めると同時に、益々その意図が分からなくなる。
人払いをするだけなら、わざわざこんな手のこんだ真似をする必要なんてない。
瞬きをするよりも早く命を奪うなんて、彼らにとっては朝飯前だろう。
気づくと下界は、巨大な龍でも暴れているかのごとき土煙が舞っていた。
ああ、それともまた貴方は、全てがエンターテインメントだというのか。
最悪の状況に、小さく歯噛みする。
◇
ビリビリと空気を震わす絶叫がどこかから聞こえてくる。
蜘蛛の脚をもつ悪魔は、主人の車椅子の傍に静かに佇んでいた。
ジャスミンイエローの瞳に光はなく、穏やかな湖面のようでありながら何を映すこともしない。
ひどくゆっくりと瞬きをした。まるで、彼女が確かにそこにいることを確認するかのように。
アラーネア「………遅刻」
今にも消え入りそうなその声音には、微かに叱責の色が浮かんでいた。
待たされるのは嫌いなのだろうか。
体から抜け出る魔力の感覚に眩暈がしそうになりながら、少女は自らの悪魔の表情をこっそりと伺った。
自分の考えていることはバレていないだろうか。
こんな理由で契約をしたなんて言ったら怒られてしまうのではないだろうか。
しっぽが不安げに揺ら揺らと揺れている。自分でもこの甘い香りの所為なのではないかと錯覚してしまうほどなのだから。
トート「いやぁ、まさかこんなにあっさり認めてくれるなんて思わなかったよ!!なんで!?まあいいや!!」
一方こちらの青年は、そんな空気は毛ほども読まず騒がしく喜んでいる。
思わず隣に立つ自らのマスターの頭をうりうりと撫で繰り回しているほどの喜びっぷりである。
トート「とりあえずよろしくね!」
と手を差し出すと、少し迷った後少女がおずおずとその手に触れた。
ハトゥール「よろしくにゃ~…」
という返事が返ってくると、その手を握りぶんぶんと遠慮なく振り回す握手をすると、今度はその手を離しフラウロスに手を差し出してくる。
トート「君も、よろしくね」
青年に握りしめられた己の手を、何とも言えない表情でじっと見つめる少女を視界の隅に止めながら、青年は悪魔に優し気な声でそう言った。
*
アウロラ「行きませんとも。何処へも。私はずっと貴女の側にいます」
自分の腕にすっぽりと収まる少女を抱き上げて、あやすように頬を摺り寄せる。
己の目が見えるのに、主人の目が代わりに見えなくなっている。
このような事、以前はあっただろうか。
火の鳥の彼女に見せれば原因がわかるのかもしれなかったが、今はとてもそんな気にはなれない。
「ずっと一緒です。何処までも」
ただ、彼女の耳元でそうささやき続けるのが最善の手な気がした。
まるで木の葉のように瓦礫を巻き上げて迫りくる死神の刃は、少年が叫んだ偉大なる天使の名によってかき消されたように見えた。
が、詠唱に一息遅れて挙がったのは紛れもない少年の悲鳴だった。
「うっ、あ、ぎゃぁああああああ!!!!」
劈くような悲鳴が校庭に谺する。ぱっくりと裂けた少年の太ももは、その風刃の鋭さからか血は一滴も出ていない。その代わり、吐き気のするような黄色い脂肪が見えているだけだ。
純粋に自分の魔術が押し負けた。そう少年が気付いたのは自らの怪我を視認した後だった。
発動した障壁は、瓦礫は防ぐことが出来たが風の刃をせき止めきれずに途中で崩壊していったらしい。
ただでさえ悪魔と契約してからアルデマルの魔術は使いづらくなっている。尚且つ相手は化物だ。
勝ち目はない。信じたくない。痛い。怖い。殺してやる。
「ヘカテーー!!!!!!!!」
思わずその場に尻もちを付いて手の力だけで後ずさる。
恐怖に引き攣りながら、そして自らを守らなかった悪魔に理不尽な怒りを込めながら、少年は悪魔の名前を呼ぶ。
「ぶっ殺せ!!!!!早く!!!!!今すぐに!!!!!」
溢れる涙と、唾をまき散らしながら叫ぶその様子は酷く醜悪だった。
何もかも遠い昔の出来事みたいに霞んで見える。
最初から、そんな月日なんて存在してなかったみたいな気さえする。
きっと、無意味な人生だ。
真昼間の放課後に目を覚まして、皺だらけのシーツから重い身体を起こす。
眩い日差しがあんまりにも視界を灼くから、レンズ越しじゃない世界を久しぶりに見て目を眇めた。
ああ、何にも見えないじゃないか。
ありもしない、私のこれからの未来みたいに。
まだ眠っているザガンを横目に、傷んだ制服に身を包んだ。
これが人生最後の日なら、少しくらい自由にしたって良いでしょう。
ローブの羽飾りが風に揺らめく。
降り立った中庭では、エンジェル・ラダーが斑に石畳を照らしている。
車椅子に乗る少女が、私が来るのを待っていた。
クク「ねえ、遊びましょう。」
アリーヤ・A・S=サリバン
何もかも遠い昔の出来事みたいに霞んで見える。
最初から、そんな月日なんて存在してなかったみたいな気さえする。
きっと、無意味な人生だ。
真昼間の放課後に目を覚まして、皺だらけのシーツから重い身体を起こす。
眩い日差しがあんまりにも視界を灼くから、レンズ越しじゃない世界を久しぶりに見て目を眇めた。
ああ、何にも見えないじゃないか。
ありもしない、私のこれからの未来みたいに。
まだ眠っているザガンを横目に、傷んだ制服に身を包んだ。
これが人生最後の日なら、少しくらい自由にしたって良いでしょう。
ローブの羽飾りが風に揺らめく。
車椅子に乗る少女が、私が来るのを待っていた。
クク「ねえ、遊びましょう。」
アリーヤ・A・S=サリバン
緑色の炎はこんなにも鮮やかなのに、暖の足しにもならないなんて。
中庭で渦巻く魔力の波動がここにまで響いてくる。
私は、彼女を止めなくて良かったのだろうか。
なぜ、未来を見通せるはずの私が、一寸先も見えない不安に駆られているの。
*
横たわる思い出という名の過去が悲鳴を上げている。
悪魔の胸に抱かれて、少女の声は小さくなっていく。
震える身体はやがて悪魔の体温に溶かされるようにして平静を取り戻していった。
デュー「アウローラ、ひとりに、ひとりにしないで、」
消え入りそうなほど小さな声を、彼の胸に閉じ込めていた。
深い黒目の奥底が、その身に宿した魔力で禍々しく赤色の光を放つ。
ギザ歯を見せてニヤリと笑った、剣を持たない左手をメルキュールに突き出した。
クロウ「――呼 風 従 奏」
まるで死神の歌のようだ。
黒く垂れ篭める分厚い雲の下で、嵐のように石畳が舞い上がる。
ガラガラと音を立て、カマイタチと化した暴風が瓦礫を飲み込んでメルキュールに襲いかかる。
*
レイヴン「ッ……イヴァン……!」
拘束された腕が伸ばせない。
対して、掠れた声は濃すぎる魔力の渦に吸い込まれていった。
けれどその直後、喉元に突きつけられた刃が一瞬にして体温を奪っていく。
世界がどうとか、謎がどうとか、僕には関係ないんだ。
だって、今も昔もずっとずっと僕を縛り付けるのは、兄さんだけなんだから。
憐憫な眼差しで視界に入れる人間にクロウの美学はきっと通用しないのだろう。そして、俺のも。
リヒト「この世界はもっと深くて、謎めいているんだぜ」
薄く笑えば、響く同胞の声が耳を劈いた。
持っていた傘を宙に投げれば、その傘は忽ちコウモリと成って無数に旋回する。
恐らく地上で唱えた魔術と同じものをバラムは唱えた。瞬間アンドラスと同じような翼がバラムに宿る。
ただ、その翼の色は漆黒だ。相も変わらず二人の人間の前を悠々と浮遊する。
「culter(訳/ナイフ)」
左手には二本の白銀のナイフが握られる。
そして一本は、ダーツのようにノエルの首筋ギリギリに投げられ、もう一本を握ったままバラムはレイヴンの喉元に触れるか触れないあたりでその刃を止めた。
63柱、と低い声でバラムは呼ぶ。
「お前の席は、こっちじゃない」
動くと、どうなるか分かるよな。
けれども足の震えは未だ収まらず、まるで死神が屋敷のドアベルを連打している時のような寒気も未だ収まらない。
外野と呼ばれたお二人は、瞬く間のうちに鉄塔の上へ。あそこもまた違った意味で冷えるだろう。
「僕に何の恨みがあるっていうんだ。」
ギラギラと嫌な光ばかり湛えた少年の瞳が敵意をむき出しにクロウを見つめている。
*
アウローラ「ご主人、もしかして目が見えていないのですか!!?」
見えるようになった自分の目に強烈な違和感を覚えながら、必死に主人の腕をつかんで抱き寄せる。
暗闇にパニックになった彼女を一先ず落ち着けなければ。
しかしパイモン自身もひどく混乱していた。何分このようなことはまったくもって初めてなのだから。
嫌な予感に汗をかかない悪魔の自分でさえ、背中を嫌な汗が伝うような気さえした。
「大丈夫です。私はここにいます。ここにいますから」
普段の自分であったのならば無遠慮に何事かと問いただしていただろう。
だが、今の自分に彼女は決断をゆだねたのだ。
少し力を込めて拳を握る。
ハトゥール「貴方の目的は」
極めて真面目な声で少女は問う。
その緑色の瞳は未だ穢れを知らない。
ディストート「フラウロスと君の力が僕には必要だ」
極めて真面目な声で悪魔は答える。
その仮面の奥は昏くてうかがえない。
ディストート「醜悪候、ボティスに誓って。契約を司る悪魔に誓って、僕は貴方を裏切らない」
その瞬間、突如目前の空間に緑色の炎が翻る。
絡み付く蛇のようにうねる火は、一度ボティスの紋章を形作ると二枚の羊皮紙にその姿を変えた。
少女と青年の目の前に浮かぶその紙は、まぎれもなく醜悪候の契約書。
正当な魔術契約を司るその紙は、契約を結んだものならば神でも逆うことはできないだろう。
青年が左手の手袋を取り去らい、驚くほどに白い手を契約書に伸ばした。
触れるだけでこの契約書は効果を発揮するのだという。
その様子をぼんやり眺めていた少女が、青年の手を見た瞬間はっと目を見開いた。
なぜならその白い手が、夢で見た彼の手に驚くほど似ていたから。
髪を撫でる優しさが暖かい、けれど冷え性でいつも冷たい白い手に酷くそっくりだったから。
次の瞬間、呆れてしまうぐらいあっさりと彼女の心持は決まってしまった。
自分がここにやってきた意味を思い出したのだ。
いつでも自分の目的はたった一つなのだ。
どうせ馬鹿な少女には青年の意図なんてわかりっこない。
そんな言い訳まで用意して
似ていたからと、たったそれだけの理由とで自嘲しながら。
それでも信じていいかと泣きそうになりながら。
私は契約書に手を伸ばした。
「「Geis!」」
いっそ見事なほど飾りっ気なく、誓約を受諾した契約書は空気に溶けて消えていった。
イヴァン「――レイヴン!!」
返事しろ、と言いたげな怒鳴り声が宙を、霧を切り裂いた。普通の人間の声では聞こえないだろう距離だが、何しろこの青年は悪魔だ。普段あまり荒げない声は、よく通る管楽器の音色のよう。
口の中で呟いた呪文は、悪魔のその形に似合わぬ純白の天使の翼を背に生やす。空を飛ぶのは、果たして何百年ぶりだったか。
そう考えながら、空へ舞い上がろうとアンドラスは地面を蹴った。
鉄砲水のごとく迸る、質量ある霧があっという間に目の前まで迫った。剣を鞘から抜くことすら許されない。
ぐらり視界が揺れた次の瞬間、ぐん、と強い重力が身体にかかったことで自らの身体が宙を舞っているのだと分かった。
ノエル「こ、っの…………!」
抗うように身を捩らせても、予想はしていたことだが、繋ぎ目のない縛めは一向に解ける様子を見せない。
魔術で切り抜けようにも、霧に触れた肌から伝わる魔力による耐久度と組み立ての複雑さは強固かつ巧妙だ。
どうやら、連続殺人鬼雨男も伊達じゃないらしい。
風に乗って現れ、尖塔に縛られた二人を嘲笑いにきた性悪のメアリー・ポピンズに、ノエルは噛み付くような視線を向けた。
ノエル「"謎"ですって?そんな高尚なものじゃないでしょう」
美しい、硝子細工のような日々だった。
その中心にいたのが彼だった。
あの日、全てを壊したのも、彼だった。
「あんたたちのやってることは今も昔も変わらない、ただの悪ふざけだわ」
そう、今度壊すのは"この場所"なのね
リヒト「ailes(訳/羽根)」
回転する傘が大きく膨らみ、風が吹き抜ける。鳥が翼を羽ばたかせたようにズボンが空中に舞い上がる。
傘からコウモリのような羽根が生え、忽ち勢いよく灰色の空に舞い上がっていった。
特等席、主人が言ったその場所に縛り付けられる2人の前、悪魔は笑う。
リヒト「謎を暴くことは魅力的だけど、謎のままに敵うものなんて存在しないよ。お嬢さんとクロウの弟クン」
それに、
「暴いて困るのはどっちかな」
細められた灰色の瞳は残酷で、眼前の2人を軽蔑するような冷たいものだった。
バルマ「…………」
サラサラと細い指の間を髪がすり抜けていく。
手首をぐっと掴んで、強引に裏返した。
ベッドが軋む。背後からぎゅっと抱き締めながら「あなたが悪いよ」と子供じみた言葉が出ていた。
背中や肩甲骨に何度も唇を当てて耳を舐めて、服を全て脱がしていく。
掴んでいた主のローブの端が手からすり抜けた、それを確認した時には、主の体は遥か上空にあった。
追い縋るように手を伸ばしたが、僅かな差でひらめくローブの裾は掴み損ねた。
悪魔の鋭い目で辛うじて姿は確認できる。確認したあと、アンドラスは一瞬にして、鉄仮面を被ったかのような真顔に戻っていた。
口から発されようとした言葉は、結局息の塊のような音を紡いで空気に溶けていった。
殺人鬼は1つ、軽く返事をした。
「だが……外野が目障りだなァ。」
その時、見せた笑顔はまるで悪魔のようで、魂の篭っていない人形のようで、ただ不気味だった。
滑らせた視線はノエルと、そしてレイヴンを捉えている。
「〝こんなにいいとも悪いとも言える日ははじめてだ〟。」
「〝どうなろうとかまうものか、どんな荒れ狂う嵐の日にも時間はたつのだ〟。」
石畳に食い込む黒い刃から、たちまち青白い霧が吹き出した。
朗々と告げられる先制の言葉、形無いはずの霧はうねうねと触手のように枝分かれし、意思を持って中庭に迸る。
立ち尽くすノエルと、一瞬だけ目をそらしたレイヴンの胴を素早く絡めとり、校舎の屋根、自らの悪魔から引き剥がすように遥か高く遠い尖塔にキツく縛り付けてしまった。
「特等席だぜ、喜べよ。」
殺人鬼は1つ、軽く返事をした。
「だが……外野が目障りだなァ。」
その時、見せた笑顔はまるで悪魔のようで、魂の篭っていない人形のようで、ただ不気味だった。
滑らせた視線はノエルと、そしてレイヴンを捉えている。
「こんなにいいとも悪いとも言える日ははじめてだ。」
「〝どうなろうとかまうものか、どんな荒れ狂う嵐の日にも時間はたつのだ〟。」
石畳に食い込む黒い刃から、たちまち青白い霧が吹き出した。
朗々と告げられる先制の言葉、形無いはずの霧はうねうねと触手のように枝分かれし、意思を持って中庭に迸る。
立ち尽くすノエルと、一瞬だけ目をそらしたレイヴンの胴を素早く絡めとり、校舎の屋根、自らの悪魔から引き剥がすように遥か高く遠い尖塔にキツく縛り付けてしまった。
「特等席だぜ、喜べよ。」
原色のイエローをした目は、くるりと空を見渡したあと薄く笑みを浮かべた。
メリエッタ「……きっと素敵な放課後になりますね」
*
アリーヤ「…………良いから。」
薄暗いまま月明かりで、悪魔の青白い顔色にも気づくことはない。
下着に染みた愛液が指先の下で淫らに絖る。
柔らかい乳房は決して大きくはないが、小ぶりというわけでもない。
焦燥の滲む声のまま、不器用に悪魔の髪を梳いた。
「きて」
ただ、人間が感情と理性の間で浮遊する生き物であることも悪魔は知っていた。あくまでも一例ではあるが、目を逸らしたくても逸らせない、などという人間の行動は所謂理性と感情が一致していないが故のものなのだろうか。そう、口には出さないが考えているのである。
イヴァン「…」
無言のまま、主の背を支えていた手でくい、と彼のローブを引く。
帰るか、と訊いているのは、主に伝わっただろうか。
精神的であれ、肉体的であれ、自分の主が苦しめられることを悪魔は望んでいないのだ。
見覚えのある人間の顔は一つ、先日会ったクロウの弟。それ以外の人間は知らない。
けれど、どの家の者なのかは、俺を含めて此処にいる悪魔なら分かるだろう。
リヒト「俺も大概だとは思ってたけどさ……まぁいいや」
悪魔は微笑むと、右の手の平ををクズりそうな空に向かって開いた。
「Schirm(訳/傘)」と流暢な発音で短い呪文が唱えられ、リヒトの手には黒い傘が握られた。
「叩き潰す、だろ?」
傘はパラシュートのように風を孕んで勢いよく開かれ、二人を覆った。
ヒトよりも体温の低い悪魔からしてみれば、子供体温など温かいを通り越して熱いくらいだ。
やがて徐ろに口を開くと、かぼそい声が紡がれる。
アラーネア「…女王様……家来……必要……」
小さい指の間から、悪魔の蝋のような指がするすると伸びる。
そっと指を絡めると、そのまま手を取れば柔らかな甲に忠誠を誓う冷たい唇が触れた。
「………Your Majesty,」
呟かれた言葉は、呪文とはまた違った不思議な響きを帯びて薄暗い部屋に消えていった。
◇
ヒルデガルト「ねーな。そーゆー動物がいんのは知ってっけど」
相変わらずベンチに浅く腰掛け凭れ、空を見上げながらぼんやりとそう返す。
耳の痛いお諌めは聞こえないフリをするのも、もはや二人の間ではお馴染みとなっていた。
白い羊というのを想像してみるが、どうもいまいちピンとこない。
悪魔たる彼女の見てきたそれはいつだって、毛を毟られ、皮を剥がれ、贄や供物として用意された血の滴る肉塊だった。
「…………おっと」
アメジストの瞳が、何かを察したように一つ瞬く。
先程まで抜けるようだった青空に浮かんでいた絹のような薄雲。
それら全てが意思をもったかの如く形を変え、濃さを増し、やがて空を覆い尽くした。
地面から昇る水蒸気の匂い。むっと肌に纏わりつくような空気は、きっと湿度のせいだけではないはずだ。
ニヤリ悪魔的な笑みを浮かべると、フルフルは高く上げた脚の反動を使って上体を起こした。
長い白い髪が、湿気を孕んだ微風に揺れる。
「メリー、雨が降るぞ」
火花と魔法陣の輝きの向こうで男は確かに舌打ちをした。
雨粒を飛ばしながら払った剣先を石畳に突き立てると、思い出したように空が愚図りはじめる。
灰色の雲を垂れ篭め陽の光を遮っては、途端に世界はモノクロになった。
「リヒト、こいつかてーんだけど。」
クロウはメルクの問いには答えなかった。
そしてノエルにも、その視線をやることはなかった。
*
悪魔の横顔を見上げたまま、喘ぐように何度か息をした。
戻した視線の先には幻影でもなければ妄想でもない本物の兄が居る。
周りの何にも目もくれないで、そうだ、あの目は。
あの目が嫌いだ。
何もかも壊そうとしてる時の顔。
こんな時に限って、胸が痛い。
ハトゥール。
その名を正しく口にしたのはいつぶりだったか。
沈黙のあと、囁くように、それでも優しげに微笑んで、悪魔は言った。
この喉を焦がすほどの甘い匂いを、私は知っている。
*
デュー「アウローラ!アウローラ!!」
瞬く間に少女の頬を大粒の涙が伝った。
半狂乱になって叫ぶ少女のもう片方の冷たい手が縋るように伸ばされる。
真夏の砂漠のオアシスのような幻影が、パイモンの耳で揺れる鈴の音にかき消されていく音がした。
人間は悪魔に言った。
悪魔の過去も想像した情景も、全て先が読めるとでもいいたげな澄んだ声だった。
再びコッペリアの細い髪に指を絡ませて、愛でるように目を細めながら、数秒の沈黙が一人と二体の間に流れる。
「空想は、現実に成り得るんだから」
ジゼルは、はぐらかすように笑うだけだった。
*
皺になっているブラウスをたくし上げて、スカートを脱がさすとバルマの顔色は変わった。
罪悪感と、こんな浅はかな行為に主人が拒絶しないで付き合う義理なんて一つもないのにという思いに駆られる。
真っ青な顔をしたまま、止めることも出来ない悪魔は、下着の上から局部を触り、「抵抗しなくていいの」と、甘えた声を出す。
自分で言ったはずなのに、喉の奥が締め付けられるように苦しくなって、胸に顔を埋めた。
作り主の言葉は常に言いしれない魅力と、そして謎に満ちている。
悪魔が自分に向けた気がした一縷の感情や、主人の詩的な言い回しが理解出来ないのはきっと自分が人形だからなのだろう。
ぽつりと零したヒルフェの"らしくない"台詞に、コッペリアは首を傾げることしか出来なかった。
◇
見開かれた橙色の瞳に、瞬いた赤褐色の火花が反射する。
鈍い金属音に、殺意を込めた光にはっと我にかえるとバックステップで距離を取り、クロウをきっと睨んだ。
この人の行動は、昔から全く予測が不可能だった。それが欠点であり、魅力でもあった。
しかし今こうして武器と――恐らくグリモワールを手に入れた以上、その性質はもはや災害でしかない。
いつ何が起きても対応できるよう、腰に下げたジョワユーズの、氷のように冷たい感触を指で確認する。
ノエル「っ………」
張り詰めているのか弛緩しているのか分からない、この人の醸し出すそんな空気が嫌い。
鈍い金属音に飛び散る火花。悪魔の魔法陣がなければ今頃首は胴体に繋がっていなかっただろう。
メルク「なっ、いきなり何をっ。やるつもりなのか!!?」
素っ頓狂な声で叫びながら手に持つグレモリーの魔導書と白表紙の魔術書を抱きしめる。
アイツに勝てるか、いや、勝てるわけがない、では逃げるか、それも嫌だ、ノエルが見ている。
混乱してうまく頭が回っていない。そもそもなぜおまえがここにいるんだ。
じりじりと距離を取る様にメルキュールはグレモリーの隣へと移動する。
その足は微かに震えているが、瞳は未だ彼を睨み付けたままだ。
鈍い金属音に飛び散る火花。悪魔の魔法陣がなければ今頃首は胴体に繋がっていなかっただろう。
メルク「なっ、いきなり何をっ。やるつもりなのか!!?」
素っ頓狂な声で叫びながら手に持つグレモリーの魔導書と白表紙の魔術書を抱きしめる。
アイツに勝てるか、いや、勝てるわけがない、では逃げるか、それも嫌だ、ノエルが見ている。
混乱してうまく頭が回っていない。そもそもなぜおまえがここにいるんだ。
トート「ハトゥール=シーだね。」
少女は頷く。
ゆらりゆらりとクリーム色のしっぽが不思議そうに揺れている。
トート「君と手を組みたいんだ。」
彼の仮面の黒い硝子の奥を覗いても、その表情はちっともわからなかった。
困ったようにチェネレの方を見る。
*
アウローラ「どうかされましたか?」
あの男と別れた後、主人の背後で気遣うような声を悪魔は発した。
辺りを見渡し目をこする少女の手を取り優しく撫でる。
そこまでしてはたと気づく。
自分はなぜ彼女の手を容易くとれたのだろう。
「目が……」
彼もまた自分の瞼を抑える。
そうして今度は慌てた様に彼女の体の向きを変え、彼女の目をまっすぐに見つめた。
トート「ハトゥール=シーだね。」
少女は頷く。
ゆらりゆらりとクリーム色のしっぽが不思議そうに揺れている。
トート「君と手を組みたいんだ。」
彼の仮面の黒い硝子の奥を覗いても、その表情はちっともわからなかった。
困ったようにチェネレの方を見る。
*
アウローラ「どうかされましたか?」
あの男と別れた後、いまだ主人を抱きかかえたまま気遣うような声を悪魔は発した。
目をこする少女の手を取り優しく撫でる。
はて、自分はなぜ彼女の手を容易くとれたのだろう
「目が……」
彼もまた自分の瞼を抑える。
そうして今度は慌てた様に彼女の体の向きを変え、彼女の目をまっすぐに見つめた。
トート「ハトゥール=シーだね。」
少女は頷く。
ゆらりゆらりとクリーム色のしっぽが不思議そうに揺れている。
トート「君と手を組みたいんだ。」
彼の仮面の黒い硝子の奥を覗いても、その表情はちっともわからなかった。
困ったようにチェネレの方を見る。
そのまま何も言わずに、しかし支える手も離さずに。いつも影のように、いつの間にか主人の背後に佇んでいる悪魔は上を向いた。そこには言わずもがな、クロウの姿がある。
イヴァン「…」
あいつが、と唇は動いたが、音として言葉が溢れることはなかった。
ひどく顔色の悪い主の支えとなったまま、その原因を静かに凪いだ瞳に映していた。
どうせ終わるこの世界で、どうせ私は生きていけない。
人間臭いな、と思う。
悪魔のクセに、魔法は使わないんだ。
甘い声と共に年相応に熟した身体は小さく跳ねる。
乖離した心と裏腹に、身体だけは正直だった。
*
その言葉で脳裏に過るのは、あの夜の砂漠で受けた眩い月光だった。
あんな空想、したくてしたわけじゃない。
こんな結末、望んだわけじゃない。
ここは僕の居場所じゃない。
ヒルフェ「……分かんないだろ。」
かつての王子は、幼稚な返答しか出来なかった。
どうせ終わるこの世界で、どうせ私は生きていけない。
人間臭いな、と思う。
悪魔のクセに、魔法は使わないんだ。
甘い声と共に年相応に熟した身体は小さく跳ねる。
乖離した心と裏腹に、身体だけは正直だった。
*
その言葉で脳裏に過るのは、あの夜の砂漠で受けた眩い月光だった。
あんな空想、したくてしたわけじゃない。
こんな結末、望んだわけじゃない。
ここは僕の居場所じゃない。
ヒルフェ「……分かんないだろ。」
幼稚な返答しか出来なかった。
叩き落された手の甲が鈍く痛む。
怒りと憎しみにギラつく瞳をぼんやりと見つめ返しながら、ぼやくようにクロウは言った。
屈めていた腰を、今度は逸らすようにして晴れ渡る空を見上げては、黒髪のポニーテールが逆風を浴びて靡く。
「じゃ、死ねよ。」
けれど、再びメルキュールに向けた顔はその空の色を移したみたいに明るく、まるで悪戯っ子のように微笑んでみせた。
そして「草薙剣」素早く唱えたその剣の柄を、ローブの内側に探り当て一閃、メルキュールを斬り上げる。
しかし直後に視界を激しく揺らしたのは、イエローに輝く巨大な魔法陣にぶち当たったその刃が見せた赤褐色の禍々しい火花だった。
メルキュールの背後にラクダに乗ったグレモリーが佇んでいる。
クロウはまだ、薄く微笑んでいる。
*
ドアの内側に取り残された少女が言った。
デュー「…………アウローラ?」
しきりに目を擦って、虚ろな琥珀色の目を瞬かせる。
ぼんやりとしたその声が、周囲を見回してはその場で立ち尽くしている。
悪魔と人形を交互に見てはジゼルは微笑むだけで、それ以上何も言わなかった。
その台詞は返答ではなかったし、誰に向けている言葉なのか分らない。
ただ、自分の負ける姿が空想できないと言わんばかりに、強情な言葉だった。
突き返された羊皮紙に刻まれた名前を目で追い、やがて、ポケットにしまった。
*
腰に回した手はスカートのチャックを下し、太腿に滑らされる。脇腹から腰をつたって、やがて内腿に移動させる。
俺は一体何をやっているのだろう。
主人を困らせて、悩ませて、それでも泣きそうになりながら首筋を甘噛みして、耳元で「この一回だけだよ」と囁いた。
嫌らしく浮かべる笑みは消え、粉塵が消えた時にはその表情は怒りへと変わっていた。
メルク「その名で僕を呼ぶな」
差し伸ばされたクロウの手を怒りに任せて叩き落とす。
額には汗と青筋が浮び、もはや彼に対する疑問など消え失る。
聞かれてはいないかとノエルの様子を真っ先に伺った。
此奴はいつもこうだ。
分っていてその名を呼ぶ。
恥ずかしい恥ずかしい。
その名で僕を呼ぶな。
「何の用だ」
思ったよりも数段低い声がでた。
フラウロスの表情は固い。
唖のように黙り込み、ハトゥールのベッドの枕元に腰掛けたままで、白い仮面の青年を紅蓮の瞳で睨みつける。
脳髄を犯すような甘ったるい匂いが、部屋を満たそうとしていた。
*
……まさか、こんなに早いなんて思わなかった。
サッと血の気が引くのが分かる。
いつも以上に顔色を悪くしながら、レイヴンはよろめく。
その拍子に背後に居た悪魔にいつものように身体を支えられ、驚いてその横顔を見上げた。
クロウ「よぅ。遊びに来てやったぜ、エスメラルダ。」
ニィと口角を吊り上げて、その名を呼ばれた男は笑った。
ステップを刻みひょいひょいと身軽に瓦礫の山を降りてきて、メルキュールに手を差し伸べるのだ。
そんな自分に苛立ちを感じながら半日の間を過ごしていたところ、運悪く更なる頭痛の原因と再会してしまっていた。
メルキュール・ヤン=ハイデルベーレ。初めて会ったときは確かもう少し可愛げのある名前だった筈だ。
思い出したくもない、あの家にいた頃の事を思い出させる要因の一つだ。
ノエル「…話はそれだけ?生憎、私はあの家での事なんかもう忘れ――――」
きらり、昼の陽光を受けて、遥か彼方で何かが煌めいた気がした次の瞬間。
言葉の端を凶暴に喰い千切って爆発音が轟き、もうもうとした土煙が辺りを呑み込んだ。
咄嗟にローブの袖で顔を覆い、何が起きたのか理解できないながらも頭の中は目まぐるしく思考が巡っていた。
収縮する世界の中心部、最期の砦とも言えるこの城塞が外側から打ち壊されるなんて。
ふと、啓示のように今朝の言葉が思い出される。
こんな事をいとも容易くやってのけるのは、彼女の知る限りたった一人しか存在しなかった。
――――――兄さんが戻ってきたよ。
「…そんな、」
それきり言葉は繋がらない。
心の奥につっかえたあの日の言葉が、喉に栓をしてしまったかのようだった。
吹き飛んだ城壁は無残にも崩れ落ちたらしい、ハラハラと瓦礫の落ちる音が聞こえる。
メルク「……なん…だ…?」
他生徒からの襲撃ならばわかる。タチの悪いお遊びならまだわかる。
しかし未だかつて、外側から攻撃されたことなどあっただろうか。
濛々と煙る視界が晴れる。
瓦礫山、君臨するかのように立ち尽くす人影。
嗚呼…笑えない。酷い冗談だ。
彼奴には見覚えがある。
そうだ、彼奴の名前は
「…クロウ=レインオーダー」
未だ夢醒めやらぬ少女は、悪魔の手を惜しむように身体を起こす。
横髪がはらりと頰を撫でた。
次にドアの方に視線をやれば、狙ったかのようなタイミングでノックの音が部屋に響いた。
少女は一度フラウロスの方に視線を遣ると、そのまま滑るようにベッドから降りる。
ドアの奥から不思議な気配がする。
*
少女が目をこすりながら扉を開けた時、先ず目に入ったのは制服をきた白い少女と趣味の悪い仮面をつけた青年だ。彼らからは鼻が馬鹿になるようなほど甘い匂いがする。何処かの悪魔とはまた違う甘さだ。白い龍が香りを振りまく花ならば、此方は虫を誘う毒花だ。
脳が痺れただでさえ回らない頭がますます混乱する。
彼女らに見覚えは……
トート「こんにちは」
青年がマスクの方からくぐもった声を発する。恐らく此方が悪魔だろう。
ハトゥ「こんにちにゃ〜」
何かを思い出しかけて尾が垂れる。
夢の残滓が追いかけてくる。
甘い匂いが邪魔をする。
煙の臭いはあまり好まないが、誰かに文句を言う訳にもいかず。
イヴァン「…」
煙の向こうを見透かすように目を眇めると、眉間にほんの少し皺が寄る。もしかしたら煙に不快感を示したかったのかもしれない。
瓦礫の山の上に立つ人物が発した、愉しそうな脳天気な声にはもちろん聞き覚えがあった。
今日は何か起こる。
寡黙な悪魔は多くを語らない彼に従うだけだったが、それでも、それくらいのことは分かる。
廊下を進む足音は軽い。
*
チェネレ「…………おはよう、ハトゥ。」
手触りの良い髪を撫で付ける細い指、優しい声。
まるで我が子を見るように穏やかな紅蓮の瞳の中には、未だ眠そうな少女の横顔だけが映り込んでいる。
「……お客さんよ。」
ふざけた声がそう言った。
けたたましい爆音と暴風が、たちまち石造りの城壁を破壊して中庭に瓦礫の嵐を巻き起こす。
もうもうと立ち昇る爆煙の中、ゆらゆらと揺れる長い尾。
「あっは、やべぇ、誰か巻き込んだかなぁ?」
能天気な声は続け、瓦礫の山を踏み越える長身のシルエットが、やがてその天辺に現れた。
*
レイヴン「っ――!」
なんだよ、何なんだよ。
授業を終えた瞬間、鳴り響いたけたたましい轟音が学園を揺らした。
嫌な予感がしていた。
正確には虫の知らせとか、多分そんなやつが。
騒いでいたんだ、もうじき、もっと厄介なことが起こるって。
「っはぁ、はぁ……、」
息を切らして渡り廊下から見下ろした中庭は、もうもうと上がる爆煙に包まれていた。
積み上げられた瓦礫の山の上、ふらりと姿を現したそのシルエットこそ、探していた、大嫌いな、もう二度と遭いたくなかった、
「………………兄さん。」
手渡された羊皮紙を突き返し、いつも以上に刺々しい態度で顔を背ける。
お前の言いなりになんかならないし、僕はお前に従うつもりもない。
ただ便利だから契約を結んだだけだ、その気になればいつだって断ち切れる。
人形のクセに、とヒルフェは思う。
主人の悪癖には同意し兼ねる。
*
そんなものは、文字通り存在しないのだ。
だからアリーヤは答えなかったし、微かな喘ぎ声を上げてはブーツを履いたままの足がシーツにシワを刻んでゆく。
その頃、
クク「おままごとをしましょう。」
共に寝そべる広いベッドの上で、ハルファスの冷たい両手を握る少女は笑った。
「私が、女王様よ。」
しかしその顔は酷く不服げだ。再び相手が妙な態度を取れば直ぐにでも斬り殺そうとするだろう。
アウロラ「随分と趣味が悪いのですね。これ以上用事がないのなら早急に立ち去ってください。」
パイモンが少女を抱いたまま一歩下がる。
仮面の男が何か言おうと口を開くと、これが答えだとでも言うようにけたたましい音を立てて扉が閉じた。
トート「あー…」
扉の奥に、もう気配は感じられない。
トート「うん、うん、でもまあ良いか。目的は果たしたよね!」
男はそっとボティスの手を握る。次は猫の少女の所だ。
*
優しい手に撫でられる夢を見て居た。昔の夢だ。
その人はこの頃少し疲れたような顔をしている。
頰に青痣を作ったり、手に切傷を拵えたりすることも多くなった。
私はそれを不安に思ってすり寄るように甘えている。
そうすれば、困ったような、喜んでいるような、淡い笑みを浮かべて優しく頭を撫でてくれる事を知っているから。
ひと時だけでもその人が安らかな気持ちになってくれる事を知っているから。
薄暗く、無駄に広いだけのあんな場所に置いて来てしまったあの人は、今は何をしているのだろう。
私が居なくても、きちんとご飯を食べているのだろうか。
嗚呼、早く帰らなきゃ。
ハトゥール「……チェネレ」
冷たい風が頰を撫でて、少女の意識が覚醒する。
何か夢を見た気がするけれど、思い出そうとすればするほど記憶は指からすり抜けて言った。
「……朝…?」
しかしその顔は酷く不服げだ。再び相手が妙な態度を取れば直ぐにでも斬り殺そうとするだろう。
アウロラ「随分と趣味が悪いのですね。これ以上用事がないのなら早急に立ち去ってください。」
パイモンが少女を抱いたまま一歩下がる。
仮面の男が何か言おうと口を開くと、これが答えだとでも言うようにけたたましい音を立てて扉が閉じた。
トート「あー…」
扉の奥に、もう気配は感じられない。
トート「うん、うん、でもまあ良いか。目的は果たしたよね!」
男はそっとボティスの手を握る。次は猫の少女の所だ。
*
優しい手に撫でられる夢を見て居た。昔の夢だ。
その人はこの頃少し疲れたような顔をしている。
頰に青痣を作ったり、手に切傷を拵えたりすることも多くなった。
私はそれを不安に思ってすり寄るように甘えている。
そうすれば、困ったような、喜んでいるような、淡い笑みを浮かべて優しく頭を撫でてくれる事を知っているから。
そうすれば、ひと時だけでもその人が安らかな気持ちになってくれる事を知っているから。
薄暗く、無駄に広いだけのあんな場所に置いて来てしまったあの人は、今は何をしているのだろう。
私が居なくても、きちんとご飯を食べているのだろうか。
嗚呼、早く帰らなきゃ。
ハトゥール「……チェネレ」
冷たい風が頰を撫でて、少女の意識が覚醒する。
何か夢を見た気がするけれど、思い出そうとすればするほど記憶は指からすり抜けて言った。
「……朝…?」
しかしその顔は酷く不服げだ。再び相手が妙な態度を取れば直ぐにでも斬り殺そうとするだろう。
アウロラ「随分と趣味が悪いのですね。これ以上用事がないのなら早急に立ち去ってください。」
パイモンが少女を抱いたまま一歩下がる。
仮面の男が何か言おうと口を開くと、これが答えだとでも言うようにけたたましい音を立てて扉が閉じた。
トート「あー…」
扉の奥に、もう気配は感じられない。
トート「うん、うん、でもまあ良いか。目的は果たしたよね!」
男はそっとボティスの手を握る。次は猫の少女の所だ。
*
優しい手に撫でられる夢を見て居た。昔の夢だ。
その人はこの頃少し疲れたような顔をしている。
私はそれを不安に思ってすり寄るように甘えている。
そうすれば、困ったような、喜んでいるような、淡い笑みを浮かべて優しく頭を撫でてくれる事を知っているから。
そうすれば、ひと時だけでもその人が安らかな気持ちになってくれる事を知っているから。
薄暗く、無駄に広いだけのあんな場所に置いて来てしまったあの人は、今は何をしているのだろう。
私が居なくても、きちんとご飯を食べているのだろうか。
嗚呼、早く帰らなきゃ。
ハトゥール「……チェネレ」
冷たい風が頰を撫でて、少女の意識が覚醒する。
何か夢を見た気がするけれど、思い出そうとすればするほど記憶は指からすり抜けて言った。
「……朝…?」
人間にはいろいろな関係がある。家族、幼馴染、知り合い、そして腐れ縁。呼び方を変えれど同じものはたくさんあって、だが当事者たちにとってみれば同じ関係は何一つとしてないのだろう。
主人が話している間余計な口を挟まなかった悪魔は、そんな堂々巡りのことをまたつらつらと考えていたようで、かけられた声に応答するまでに一瞬の間ができた。
月光のような銀髪を翻し、ドアへ向かう。閉められたドアの向こう、悪魔はまた不必要にも思える言葉を零すのだった。
「……何だって、か」
微笑しながら、そっと肩を掴んで優しく口付ける。
すぐに唾液を含んだ粘着した音が響いて、激しいキスに変わった。
服の上から彼女の腰に手を回して、もう片方の手で、そのリボンタイを引っ張ってベッドの外に落とした。
*
ジゼルは微笑んだままその羊皮紙を受け取った。
癖ひとつない字で書かれていた名前や魔術の流派などを時間をかけて見ることは無く、一瞬だけ視界にいれた程度で、背後に連れる自分の悪魔に手渡した。
ジゼル「ヒルフェの嫌いな奴、教えてよ」
また、目の前の彼女に視線を戻す。
よく調べたね、と続けると微笑んだ。
咄嗟に口を突いて出た言葉で、彼女を止めようとした。
いつだって必要以上に味方で居るつもりだった。例え拒否されようとも、それでも、だから、あんな奴の言葉、聞かなくていい。
レイヴン「そうさ、僕たちはもう他人同士だ。魔法使いになるためになら何だってしてみせるよ!」
薄紙を震わすような声が言う。
音高く床を踏み鳴らし、机の上のグリモワールを引っつかんで「行こう、イヴァン」つかつかと入口まで歩みを進めた後ろ姿は、もうノエルの知っているレイヴンではない。
「………………兄さんが戻ってきたよ。」
秘め事を囁くように放たれた一言、静寂を破ってドアは閉められた。
*
チェネレ「…………風が変わるわ。」
眠りこける少女の枕元に腰掛けて、フラウロスは言った。
闇に浮き出る白い髪が揺れている。
窓から吹き込む冷たい朝の風が、昨日の雨の余韻を運んでいる。
噛み締めた奥歯がギリリと音を立てる。
赤く染めた頬の色が、赤い月光に紛れていた。
肯定も否定もしない代わりに、ぎゅっと握った手のひらを諦めたように開いては、ゆっくりと胸元のリボンタイを解く。
そのままシーツの上に放った長い尾びれの端がまだその手の中にある。
「…………シて」
*
メリエッタ「まあヒルデ!はしたないですよ。」
歌うのをやめた少女は振り返った。
コイフを脱いだ黄色い目が、可笑しそうに煌めいてる。
陽の光を浴びて蠢く青薔薇の蔦がもどかしげに白い頬を撫でては、花弁を1枚散らしてゆく。
「羊は真っ白なんですよ、ヒルデは見たことありませんでしたっけ?」
エペ「…………、」
白鱗の悪魔はニンマリと口元を歪める。
喉奥から聞こえる威嚇音を猫のように立てては、チロチロと先の割れた舌を薄い唇の隙間から覗かせた。
*
気の触れたような血走った黄金色の目が、不意に見開かれる。
闇に包まれた早朝の部屋、饐えた臭いが充満していた。
吐瀉物に濡れた枕元、汗ばんでシワだらけの制服。
糸に吊られたマリオネットのように、白髪の少女は身を起こす。
色濃く残る紫色の圧迫痕が、呪いのように細い首に刻まれている。
虚ろな目が、どことも知れないどこかを見ていた。
橙色の瞳が、ほんの僅かに見開かれたように思える。
ノエル「…何が言いたいのよ」
カーテン越しに発せられた隣人の台詞に、少女は小瓶を持たなかった方の手をキツく握り締めた。
この呪われた学園に居る限り、誰かに殺されないうちは誰かを殺さなければ生きていけない。
彼女とて、そんな理は入学した瞬間からごく冷静に理解し、肝に銘じているつもりだった。
しかしノエルの中に残る人間としての理性と罪悪感が、隣人の一言をまるで殺しに対する糾弾のように感じさせた。
いつまでたっても甘い自分と、所謂幼馴染という関係の隣人にいっそ嘲笑したい気分に駆られてくる。
「それじゃあ何、知り合いだったら見逃せとでも言いたいわけ?呆れた、相変わらず吐き気がするほど甘いのね。
そんなんだからあんたはいつまで経っても、」
そこまで言って、喉の奥まで飛び出しかけた言葉が我に返ったかのようにするりと戻っていった。
少し感情的になってしまった、私としたことが饒舌過ぎた、と舌打ちしたくなる気持ちの裏側で
思い出らしい思い出の無かった幼少期に、一筋の光を差し込ませてくれたあの日々が脳裏を掠める。
考えないように、思い出さないように、記憶の書庫の奥底に押し込めていた分厚くて黴臭い本が、引き出されようとしていた。
弾むように歌う主人を眺める悪魔は、脚を大きく広げたまま、だらしなくベンチに腰掛けていた。
フルフルは、人間の唄う歌には詳しくない。
しかし彼女と契約を交わしてからは、時折口ずさまれる詩を自然と諳んじていることに最近気がついた。
歌を覚えようという努力も、ましてや興味すら以前と同じように抱いていないが、こうしてたまに要らない口を挟む事がある。
爽やかな風に木々は揺れ、悪魔の薄紫色の髪の毛も緩く靡かされた。
◇
動こうと思う。その台詞に人形はハッとしたように目を丸くし、小さく開いた口から息を吸い込んだ。
ヒトが驚いた時にみせる典型的な反応を魔術的なプログラムとして埋め込まれた少女は、
更に人間らしく何か感嘆の言葉を吐くより前に、懐から一束の羊皮紙を取り出した。
コッペリア「これを」
端々が茶けた厚い紙の上には、まるでタイプライターで打ち込んだかのように機械的な彼女の文字が並んでいた。
「従えている悪魔および扱う魔術の流派、武器やその他特殊能力なども、私の調査した限り纏めておきました」
人間の生徒と友人関係を築く事は純粋に楽しく、またカラカラに乾いたスポンジのような彼女に知識を注ぐ良い機会だった。
命令だからという義務感や友人達を欺いている事への罪悪感すら知らない、朗らかな笑顔。
ただ、人間でいう遺伝子レベルで刷り込まれた"存在意義"が、彼女を動かす糸を繰っていた。